四天王寺か天王寺か 四天王寺出土文字瓦
四天王寺か天王寺かという寺名の変遷は複雑怪奇です。先に紹介した江戸時代の3枚の古地図からは幕末頃に「天王寺」から「四天王寺」に変化したことがうかがわれるのですが、九州年号の倭京2年(619)の建立時から江戸時代までずっと「天王寺」だったわけではありません。
昭和51年に発行された『重要文化財29 考古Ⅱ』(毎日新聞社発行、文部省文化庁監修)には四天王寺から出土した瓦の写真約290枚が収録されており、次のような時代的変遷がわかります。
〔飛鳥時代〕創建瓦の八弁単葉蓮華文軒丸瓦に始まり、複弁蓮華文軒丸瓦へと続きますが、文字瓦はない。
〔平安時代前期〕文字瓦なし。
〔平安時代後期〕文字瓦が出現。軒丸瓦・軒平瓦に「四天王寺」と記されている。
〔鎌倉時代〕文字瓦なし。
〔南北朝・室町・桃山・江戸時代〕文字瓦が再出現。軒丸瓦・軒平瓦に「天王寺」と記されている。
史料が昭和51年発刊でやや古く、編年も大ざっぱな分類ですが、上記のような状況です。文字瓦は同時代史料ですから、その時代の寺名の根拠としては優れたものです。この点、文献ですと書写時での書き換えや執筆者の認識を示すものなので、本当にそのときの寺名を表しているのかは史料批判が必要です。
『重要文化財29 考古Ⅱ』に掲載されている文字瓦が四天王寺出土の全てかどうかわかりませんが、その時代別の変遷の傾向として、創建時から平安時代前期までは文字瓦は見えず、平安時代後期になって文字瓦が出現し、そこには「四天王寺」の文字が記されています。その後、南北朝時代以降には「天王寺」と記されています。
このように四天王寺は平安時代後期から「四天王寺」になったり「天王寺」になったりしており、その変遷は複雑です。この変遷がどういう事情によるものかは、今のところわかりませんが、創建時の本来の名称「天王寺」を継承しようとする勢力と、『日本書紀』にある「四天王寺」を是とする勢力が長い時代の中で競っていたように思われます。
これらの瓦の写真をわたしのfacebookに掲載していますので、ご参照ください。