2021年08月一覧

第2529話 2021/08/02

『東京古田会ニュース』No.199の紹介

 本日、『東京古田会ニュース』No.199が届きました。今号は拙稿「七世紀後半の近畿天皇家の実勢力 ―飛鳥藤原出土木簡の証言―」を掲載していただきました。飛鳥地域(飛鳥池遺跡・石神遺跡・苑池遺跡・他)と藤原宮(京)地域からは約四万五千点の木簡が出土しており、それにより七世紀後半から八世紀初頭の古代史研究が飛躍的に進みました。そのなかの三五〇点ほどの評制時代(七世紀後半)の荷札木簡を紹介し、飛鳥宮時代(天智・天武・持統)と藤原宮時代(持統・文武)の近畿天皇家の影響力が及んだ範囲(献上する諸国)を確認することができるとしました。
 同号の掲載論稿中、わたしが最も注目したのが新保高之さん(調布市)の「謎の皇孫・健王と大田皇女」でした。新保さんによれば、『日本書紀』には「皇孫」の表記が43例あり、その内の39例は神代紀(38例)と神武紀(1例)で、他の4例は、時代が遠く離れた斉明紀の健王(3例)と天智紀の大田皇女(1例)という不思議な使用状況とのこと。両者は持統の同母姉弟という共通項を持つが、なぜこの二人が「皇孫」と呼ばれているのかは不明とのことです。もしかすると、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が提起された〝九州王朝系近江朝〟(注①)や、古田先生の〝天智による日本国の創建〟(注②)と関係するのかもしれません。
 こうした『日本書紀』の史料状況に着目されたこと自体も鋭い問題提起ですが、その理由については不明とされた慎重な研究姿勢に、わたしは共感を覚えました。研究途上での、わからないことはわからないとする姿勢や、史料事実の核心部分を鋭く見抜くという新保さんの洞察力は流石と思いました。研究の進展が楽しみです。

(注)
①正木裕「『近江朝年号』の実在について」『古田史学会報』133号、2016年4月。
②古田武彦「日本国の創建」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。


第2528話 2021/08/01

九州王朝の部民「松延氏」と松野連

 先月のことです。九州王朝王族の末裔の〝お姫様〟から突然メールが届きました。お父上と懇意にしていたこともあり、懐かしく思いました。
 九州には今でも九州王朝王族の末裔と思われる方々がおられます。わたしたちの調査によれば、筑後地方には玉垂命(注①)御子孫の家系が複数続いており、その中に稻員(いなかず)家や松延(まつのぶ)家があり、江戸時代幕末の久留米藩の国学者、矢野一貞(注②)もその系図を研究しています。それぞれの家に系図が伝えられているようで、わたしは八女市の松延さんから家系図を見せていただいたことがあります(注③)。
 その時には全く気づかなかったのですが、「松延」は本来「松野部」であり、九州王朝での部民の呼称ではないでしょうか。「○○部」と称される氏族は、通説では大和朝廷による支配形式の一つ、部民制と理解されることが多いのですが、日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)の研究によれば、それは氏族の名称に他ならず、いわゆる部民制ではないとされています(注④)。この日野説が念頭にあったため、今回、この作業仮説(アイデア)が浮かんだのです。
 「松延」の原型が「松野部」であれば、九州王朝(倭王)系図とされる「松野連系図」の松野氏との関係が想起されます。そこで、WEBサイト(注⑤)で「松延」姓を検索したところ、福岡県南部の八女市と久留米市に濃密分布していることがわかりました。
 他方、「松野連系図」に見える「夜須評」「夜須郡」は福岡県朝倉郡筑前町の「夜須」地名に対応し、当地には「松延」という地名が今もあります(注⑥)。「松延」姓が八女市・久留米市に濃密分布し、筑前町に「松延」地名があることは、わたしのアイデアを支持するのではないでしょうか。更には、七支刀を持つ御祭神で有名な「こうやの宮」があるみやま市瀬高町に「松延」発祥の地とされる松田(旧:松延)があることも興味深いと思います。
 九州王朝末裔の〝お姫様〟から届いたメールのおかげで、またひとつ九州王朝史の一端に迫ることができたかもしれません。不思議な御縁を感じます。

(注)
①筑後国一宮の高良大社(久留米市)の御祭神、玉垂命(たまたれのみこと)は「倭の五王」時代の九州王朝の王であり、代々、「玉垂命」を襲名したとする次の論稿を発表した。
 古賀達也「九州王朝の筑後遷宮 ―高良玉垂命考―」『新・古代学』第四集、新泉社、1999年。
②矢野一貞(1794~1879年)は幕末の久留米藩を代表する国学者。岩戸山古墳の現地調査を行い、筑紫君磐井の墓であることを最初に唱え、神籠石が山城であると指摘した。『筑後将士軍談』などの著書がある。
③2017年3月5日、日野智貴氏と共に松延家を訪問し、家系図を拝見した。
④日野智貴「『部民制』はあったのか」2021年7月17日、「古田史学の会」関西例会での口頭発表。
⑤「日本姓氏語源辞典」(https://name-power.net/)によれば、市別の分布上位と発祥地は次の通り。
 1 福岡県 八女市(約500人)
 2 福岡県 久留米市(約300人)
 3 茨城県 かすみがうら市(約110人)
 4 茨城県 石岡市(約90人)
 5 福岡県 飯塚市(約50人)
 6 長崎県 長崎市(約40人)
 7 熊本県 熊本市(約30人)
 7 茨城県 土浦市(約30人)
 9 福岡県 北九州市小倉南区(約30人)
 9 福岡県 福岡市南区(約30人)
《発祥地》
○福岡県みやま市瀬高町松田(旧:松延)発祥。平安時代に記録のある地名。福岡県八女市高塚に江戸時代にあった。
○福岡県朝倉郡筑前町松延発祥。南北朝時代に記録のある地名。
○茨城県石岡市府中付近(旧:松延)から発祥。鎌倉時代に記録のある地名。地名はマツノベ。位置不詳。茨城県水戸市三の丸が藩庁の水戸藩医に江戸時代にあった。
⑥古賀達也「洛中洛外日記」2436話(2021/04/16)〝「倭王(松野連)系図」の史料批判(4) ―松野連(まつのむらじ)と松野郷―〟