大宰府政庁Ⅱ期遺構は「都督府」説
本日はエル大阪(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月もエル大阪(大阪市中央区)で開催します(参加費500円)。来年1月の関西例会は、初めてキャンパスプラザ京都(ビックカメラJR京都店の北)で開催します。午後は恒例の新春古代史講演会を同施設で開催します。
今回の例会では冒頭に正木裕さんから〝「九州王朝」万葉歌 バスの旅〟の報告がありました。糸島から大宰府政庁や観世音寺・水城、別府温泉など、九州王朝と深く関係する名所旧跡を三日で巡るというものです。報告の中で、大宰府政庁Ⅱ期の創建年代は、白鳳十年(670年)創建の伝承を持つ観世音寺と同時期と考えられ、そうであれば当時は「太宰府」ではなく「都督府」と呼ばれていたはずとされました。
確かにその方が適切のように思いました。ただし、王朝交代後の八世紀になると大和朝廷の「大宰府」と称されたことが律令に見えますので、正式名称は「大宰府」となり、「都督府」「都府楼」は歴史的遺称として併用されたものと思われます。今後、論文などに書くときは、どの名称を使用すべきか、悩ましい問題も発生しそうです。同テーマはわたしも「洛中洛外日記」(注)などで論じましたので、ご参照いただければと思います。
大原さんからは『日本書紀』垂仁紀などに見える〝トキジクノカグノコノミ〟をナツメヤシ(デーツ)とする新説が発表されました。30年前に西江碓児さん(故人)がバナナとする説を発表されて以来の新説で、有力説と思いました。『古田史学会報』での発表が待たれます。
11月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。
(注)
古賀達也「洛中洛外日記」1386話(2017/05/07)〝都府楼は都督府か大宰府か〟
同「『都督府』の多元的考察」『多元』141号、2017年。
〔11月度関西例会の内容〕
①〝正木裕氏と行く 「九州王朝」万葉歌 バスの旅〟の報告(川西市・正木 裕)
②田道間守の持ち帰った橘のナツメヤシの実のデーツとしての考察(大山崎町・大原重雄)
③ジョン・レノンが繰り返したナンバー9(ナイン)(大山崎町・大原重雄)
④縄文語で解く記紀の神々・第八話 イザナミ神が生んだ国々(前・後)(大阪市・西井健一郎)
⑤伊勢神宮はいつの時代に近畿王朝の聖地となったか(茨木市・満田正賢)
⑥名前だけで実体のない不改常典(京都市・岡下英男)
⑦宇治橋断碑と宇治橋(八尾市・服部静尚)
◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
01/21(土) 会場:キャンパスプラザ京都(京都市下京区、ビックカメラJR京都店の北)