二つの「役小角一代」史料
和田家が昭和24年に洞窟から発見した「北落役小角一代」のテキストデータを送っていただいた藤田隆一さん(多元的古代研究会・会員)からは玉川宏さん(秋田孝季集史研究会・事務局長)が再写した「大師役小角一代」のデータもいただきました。同史料の存在は知っていましたが、全容は初めて見ました。「洛中洛外日記」に全文を掲載したいのですが、テキストファイルで60KBもあり、容量が「洛中洛外日記」としては大きすぎますので、別途、公開方法を検討したいと思います。なお、訓み下し文は藤田さんがネット上で公開されており(注①)、ご参照下さい。
また、藤田さんからは2018年に発表された研究資料の提供も受けました(注②)。和田家文書中の役小角史料を紹介・解説したもので、初学者にもわかりやすく内容も優れたものでした。藤田さんのサイトには〝これらの史料は玉川宏さんによれば、1990年代に旧森田村歴史民俗資料館(青森県)の館長さんより入手したものだそうです。これは「森田村古文書解読研究会」がコピーした「大師役小角一代(原漢文)」という資料です。その注釈を見ると、これは開米智鎧さんが作成した一次写本の写しのようです。〟とあります。
ちなみに「洛中洛外日記」3077話(注③)で公開した銅板銘文「北落役小角一代」(1185字)はテキストファイルで3KBですから、単純計算で比較しても60KBの「大師役小角一代」は二万字を越えます。このような大量の和風漢文史料(銅銘板あるいは木皮文書)を戦後間もない昭和24年当時、炭焼きを生業としていた和田家に偽造できるはずがないことは一目瞭然です。偽作者と名指しされた和田喜八郎氏に至っては当時まだ22歳です。世の偽作論者に問いたい。あなたが22歳の時、二万字にもおよぶ漢文の史料(銅板銘や木皮文書)を山中の炭焼き小屋で働きながら書けましたかと。地元紙やメディアにより数十年にわたって延々と繰り返された非道な偽作キャンペーンにより、和田家は〝一家離散〟しました。その責任をどうとるつもりですか。答えていただきたい。(つづく)
(注)
①藤田隆一「大師役小角一代」
https://shugen.seisaku.bz/
②同「役行者の金石文」2018年4月14日
https://shugen.seisaku.bz/etc/En-nogyoujaNoKinsekibun.pdf
同「役行者の金石文(改訂版)」2018年10月27日
③古賀達也「洛中洛外日記」3077話(2023/07/23)〝藤田さんから朗報、「役小角」銅板銘データ〟