2024年07月08日一覧

第3320話 2024/07/08

金光上人関連の和田家文書 (4)

 和田家文書の金光上人史料を調査した研究者に金子寛哉氏がいます。氏は『金光上人関係伝承資料集』(注①)の編著者です。同書は浄土宗宗務庁教学局が発行したもので、言わば浄土宗々門の公的な金光上人資料集として刊行されたものです。それには、佐藤堅瑞氏や開米智鎧氏らによる金光上人研究(注②)についても紹介されており、興味深い見解が示されています。いわゆる偽作論者による浅薄で表面的な批判とは異なり、史料状況の分類や他史料との関係にも言及が見られ、その批判的な姿勢も含めて、学問研究としては比較的優れたものでした。その重要部分について紹介します。

 金子氏は和田家文書に基づいて活字化発表された諸資料(『蓬田村史』第一一章、『金光上人の研究』、『金光上人』)の存在を紹介し、「平成になってからも新規発見を見るなど「和田文書」の全容は今なお不明であるが、『東日流外三郡誌』によってその存在がクローズアップされる遥か以前に、金光上人関係「和田文書」資料は公開されている。このことは充分留意しておくべきであろう。」(1076頁)と指摘します。わたしは『蓬田村史』を知りませんでしたので、参考になりました。

 わたしが最も感心したのが、金子氏が和田喜八郎氏や柏村・浄円寺の佐藤堅瑞氏(『金光上人の研究』著者)、開米智鎧氏(『金光上人』著者)が住職をしていた五所川原飯詰の大泉寺を訪問し、金光上人関連和田家文書の実見調査(昭和六二年五月二八・二九日)と写真撮影を行い、それぞれを分類比較したことです。現存史料の基礎的調査に基づいて史料批判を行うという姿勢には共感を覚えました。金子氏は史料を次のように分類し、所見を述べています。

(A)群 和田喜八郎氏が持参した記録物数点。薄墨にでも染めたかのような色を呈していた。
(B)群 軸装した史料十本。『金光上人の研究』には収録されていない。
(C)群 大泉寺に所蔵されている軸装史料、三七本。
(D)群 北方新社版『東日流外三郡誌』(注③)の編者、藤本光幸氏より借用した史料(調査日時は上記3群とは異なるようである)。一枚物が多いが、小間切れのものもかなり見られ、奇妙な香りと湿り気を帯びたものがあった。藤本氏によれば、三十年以上も前からそうした状態だったとのこと。他群よりも(D)群の文書はより拙劣であり、誤字(誤記ではなく文字そのものの誤り)が多いことも目立つ。佐藤堅瑞、開米智鎧両師とも、この(D)群資料をその著書に全く用いていない。

 こうした分類と所見に基づき、金子氏はこれら計一五九資料を整理検討します。わたしの調査経験から判断すると、おそらく(A)(D)群は戦後レプリカに属するものと思われます(注④)。この点、後述します。(つづく)

(注)
①『金光上人関係伝承資料集』金光上人関係伝承資料集刊行会発行、1999年(平成11年)。
②佐藤堅瑞『殉教の聖者 東奥念仏の始祖 金光上人の研究』1960年(昭和35年)。
開米智鎧編『金光上人』1964年(昭和39年)。
③『東日流外三郡誌』北方新社版(全六冊) 小舘衷三・藤本光幸編、1983~1985年(昭和58~60年)。後に「補巻」1986年(昭和61年)が追加発行された。
④「謝辞に代えて ―冥界を彷徨う魂たちへ―」(『東日流外三郡誌の逆襲』八幡書店より刊行予定)において、わたしは次のように和田家文書を三分類した。
《α群》和田末吉書写を中心とする明治写本群。主に「東日流外三郡誌」が相当する。紙は明治の末頃に流行し始めた機械梳き和紙が主流。
《β群》主に末吉の長男、長作による大正・昭和(戦前)写本群。筆跡は末吉よりも達筆である。大福帳などの裏紙再利用が多い。「北鑑」「北斗抄」に代表される一群。
《γ群》戦後作成の模写本(レプリカ)。筆跡調査の結果、書写者は不詳。紙は戦後のもので、厚めの紙が多く使用されており、古色処理が施されているものもある。展示会用として外部に流出したものによく見られ、複数の筆跡を確認した。