2024年11月08日一覧

第3375話 2024/11/08

王朝交代前夜の天武天皇 (2)

 「洛中洛外日記」前話(注①)で、飛鳥池出土「天皇」木簡の年代を天武五〜七年(676~678)を含む数年間に収まるとする判断と、天武紀に見える「詔」の年次別出現数が天武八年(679)から目立って増加するという新保高之さんの調査結果(注②)により、天武が天皇を名のり始めた頃から詔を多発し始めたとする見解を述べました。この天武八年頃に天武にとっての画期点があったのではないでしょうか。このことを示唆する研究が最近発表されました。都司嘉宣さんの論文「七世紀末の王朝交代を災害記録から検証する」です(注③)。

 『古田史学会報』最新号一面に掲載された同論文はわずか2頁弱(半頁の表を含む)の短文ですが、『日本書紀』『続日本紀』には、列島遠方地の災害が天武七年(678)から記録されており、この史料事実は、それよりも前は近畿天皇家は列島の代表者ではなかったことを示すものとしました。そして、わたしや新保さんの研究結果とも整合する内容であり、王朝交代前夜の近畿天皇家の実体に迫る上で貴重な知見と言えるでしょう。都司稿は非常に簡潔で秀逸な論文であり、まるで理系論文を読んでいるような気がしました。

 余談ですが、二十世紀最大の発見とされるワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造説を発表したネイチャー誌掲載論文(注④)もわずか2頁です。この短い論文によりワトソンらはノーベル生理学・医学賞(1962年)を受賞しました。わたしも古代史の分野で画期的で短い論文をいつかは書いてみたいと、青年の頃、身の程知らずにも思ったものです。

 都司さんは元東京大学地震研究所准教授で、古田先生が立ち上げた国際人間観察学会の特別顧問でした。同研究会の会報「Phoenix」No.1(2007)は同地震研究所のお力添えを得て発行したもので、都司さんの論文“Similarity of the distributions of the strong seismic intensity zones of the 1854 Ansei Nankai and the 1707 Hoei Earthquakes on the Osaka Plain and the ancient Kawachi Lagoon”と拙稿“A study on the long lives described in the classics”などが収録されています。拙稿は世界の古典に見える二倍年暦(二倍年齢)に関する英文論文です。都司論文は歴史地震学に関するもので、こうした専門知識と研究実績が背景にあって、「七世紀末の王朝交代を災害記録から検証する」を書かれたものと思われます。なお、「Phoenix」は「古田史学の会」ホームページに採録されています。ご覧いただければ幸いです。(つづく)

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3374話(2024/11/07)〝王朝交代前夜の天武天皇 (1)〟
②新保高之「東京古田会・読書会〔天武天皇紀下⑩〕」2024年10月26日。
③都司嘉宣「七世紀末の王朝交代を災害記録から検証する」『古田史学会報』184号、2024年。
④J.D.Watson & F.H.C.Crick: MOLECULAR STRUCTURE OF NUCLEIC ACID A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid Nature 171,737-738(1953)