2025年02月11日一覧

第3427話 2025/02/11

『三国志』短里説の衝撃 (2)

 ―「短里・里程」論争の研究史―

 「邪馬台国」畿内説の仁藤敦史氏の著書・論文(注①)には、短里説は全く触れられていません。谷本さんが指摘された「里数値はまったく信頼できないものとして無視し、里数値以外の情報にもとづいて女王国の位置を求めようとする立場」に立っています。もちろん、自説成立のために短里説を否定するのはかまいませんが、それならば短里説を紹介し、根拠をあげて学問的に批判するのが学者や研究者のあるべき姿だとわたしは思います。

 短里説が取るに足らない仮説であるのならば、古田先生が『三国志』短里説を1971年に発表した後(注②)、あれほど長期にわたる論争が続くはずもありません。良い機会ですので、当時の短里・里程論争の関連著書を紹介します。
古田先生と谷本茂さんの共著『古代史の「ゆがみ」を正す』(注③)で、谷本さんが次の書籍・論文を紹介しています。

【「魏・西晋朝短里説」への反論】
○山尾幸久『魏志倭人伝』講談社、1972年
○白崎昭一郎『東アジアの中の邪馬臺国』芙蓉書房、1978年。
○佐藤鉄章『隠された邪馬台国』サンケイ出版、1979年。
○安本美典『「邪馬壹国」はなかった』新人物往来社、1980年。
○『季刊邪馬台国』12号、梓書院、1982年。13号、1982年。35号、1988年。などに里程の特集。
○原島令二『邪馬台国から古墳の発生へ』六興出版、1987年。
○石田健彦「『三国志』の里単位について ―「赤壁の戦」を疑う―」『市民の古代』14集、新泉社、1992年。

【里程論争について】
○三品彰英『邪馬台国研究総覧』創元社、1970年。
○篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位」『季刊邪馬台国』35号、1988年
○古田武彦『古代は沈黙せず』駸々堂出版、1988年。
○古田武彦編『古代史討論シンポジウム 「邪馬台国」徹底論争』第一巻 言語、行路・里程編、新泉社、1992年。
○秦政明「『三国志』における短里・長里混在の論理性」『市民の古代』15集、新泉社、1993年。
○帯刀永一「短里説・長里説の再検討」『市民の古代』15集、新泉社、1993年。

【『周髀算経』に基づく短里説批判とそれへの反論】
○篠原俊次「一寸千(短)里説批判」『五条古代文化』30号、五条古代文化研究会、1985年。
○篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位 ―その4―」『計量史研究』8号、日本計量史学会、1985年。
○谷本茂「『周髀算経』の里単位について」『季刊邪馬台国』35号、梓書院、1988年。

 このように50年以上前から、20年間にわたって続けられた「短里・里程」論争に一切触れない仁藤氏の論文・著書を、「時代を50年逆行している」と谷本さんが批評したのはもっともなことです。最後に、倭人伝中の里単位について言及した古田先生の著書『邪馬一国への道標』(注④)の次の一文を紹介します。

 「倭人伝中の里数値を漢代の里単位と同じ「単位」に解して、〝とんでもない錯覚〟の中に躍らされてきた、研究史上の苦い経験があります。たとえば、
○(韓)方四千里。 (魏志韓伝)
○郡(帯方郡治。ソウル付近)より女王国に至る、万二千余里 (魏志倭人伝)
を、〝大風呂敷だ〟と信じて疑わない「邪馬台国」論者がいまだに跡を絶たないのには、驚かされます。つまり、単位問題では、いつでも、〝その時代の単位の実体をまず確認する。この手続きが不可欠なのです。〟」同書一〇七頁 (つづく)

(注)
①仁藤敦史『卑弥呼と台与』山川出版社、2009年。
同「倭国の成立と東アジア」『岩波講座 日本歴史』第一巻、岩波書店、2013年。
②古田武彦『「邪馬台国」はなかった ―解読された倭人伝の謎―』朝日新聞社、1971年。ミネルヴァ書房より復刻。
③古田武彦・谷本茂『古代史の「ゆがみ」を正す 「短里」でよみがえる古典』新泉社、1994年。
④古田武彦『邪馬一国への道標』講談社、1978年。

【写真】『「邪馬台国」はなかった ―解読された倭人伝の謎―』出版30周年記念講演会での谷本さんと古賀の祝賀講演。東京朝日新聞社ホールにて、2001年10月8日。