久住猛雄氏「比恵・那珂遺跡群」論文の紹介
6月22日(日)の「列島の古代と風土記」出版記念大阪講演会(注①)で講演していただく久住猛雄さんには、弥生の硯の研究と共に次の優れた研究があります。日本最古の〝大都市〟比恵・那珂遺跡(福岡市)についての研究論文「最古の『都市』~比恵・那珂遺跡群~」(注②)です。そこには重要な指摘と考察が述べられています。要約して紹介します。
❶比恵・那珂遺跡群は「最古の〈都市〉」である。「街区」の形成は「考古学的に認識しうる都市の条件」の一つとして重要視されているが、それがより明確にわかるのは比恵・那珂遺跡群をおいて他にはなく、「初期ヤマト政権の宮都」とされる纏向遺跡においては、そのような状況は依然ほとんど不明である。
❷比恵・那珂では、高床倉庫が林立する倉庫群領域が弥生中期頃から形成される。それら倉庫域は『魏志倭人伝』の「邸閣」領域と推定される。
❸比恵・那珂遺跡の最大の特徴の一つとして、列島内外の遠隔地を含む多地域の土器の搬入が多く見られる。この現象が弥生中期後半から後期の全期間において継続的に見られ、他の集落に比べて明らかに多い。楽浪土器、半島系無文(粘土帯)土器、三韓土器、南九州から近江・東海西部地方までの土器が流入している。
❹半製品である「鉄素材」の出土が多い。その中には、朝鮮半島ではなく中国本土産と推定されるものもある。比恵・那珂では明確な鍛冶遺構が少ないが、むしろ長距離交易品としての鉄素材が流入して取り引き交換される場所で、鉄器に関しては福岡平野内の鍛冶集落から供給される率が高かったと考えられる。博多の鍛冶工房群の直接的な管理運営者は比恵にいた大首長の蓋然性が高い。
❺比恵・那珂では、天秤権用の石権(重り)が出土しており、鳥栖市本行遺跡出土の石権と重量単位に対応関係があり、比恵・那珂ないし「奴国」がその単位を定めた可能性がある。
❻これらの交易には文字によって管理されていた可能性が最近出てきた。博多湾岸からの板石硯出土の発見が続いており、外交だけでなく、交易にも文字が使用されていたと、近年では考えられている。
❼弥生時代から古墳時代前期の福岡県下から検出された井戸約800基のうち、なんと500基前後が比恵・那珂に集中している。その人口は控えめでも3000人以上と予想される。おそらく、直接経営の周囲水田では不足することから、広大な倉庫群領域の存在自体、余剰食糧あるいは交換物資として広範囲から食料を集積していることを示唆している。
これらの考察・指摘は、古田先生の邪馬壹国博多湾岸説を示唆するものですが、久住さんご自身は「邪馬台国」畿内説を支持されているとのことです。学問は異なる仮説が自由に発表でき、互いに学びあい、真摯に検証・論争することが大切です。久住さんの講演が待ち遠しいものです。
(注)
①「古田史学の会」主催。会場は大阪公立大学なんばサテライト I-siteなんば。6月22日(日)13:00開場。講師と演題は次の通り。
久住猛雄 氏 弥生時代における「都市」の形成と文字使用の可能性 ―「奴国」における二つの「都市」遺跡、および「板石硯」と「研石」の存在についてー
正木 裕 氏 伝説と歴史の間 ―筑前の甕依姬・肥前の世田姫と「須玖岡本の王」―。
②久住猛雄(福岡市埋蔵文化財課)「最古の『都市』~比恵・那珂遺跡群~」総括シンポジウム『古墳時代における都市化の実証的比較研究 ―大阪上町台地・博多湾岸・奈良盆地―』資料集、大阪市博物館協会大阪文化財研究所、2018年。