2025年07月01日一覧

第3501話 2025/07/01

箸墓とホケノ山、C14年代の比較論

 ―浦野文孝さんの編年方法―

 6月22日に開催した『列島の古代と風土記』出版記念講演会で講演していただいた久住猛雄さんの主張「考古学では編年が基本」という言葉に触発され、新しい情報に基づく弥生編年について勉強し直しています。そうしたところ、とてもシンプル(単純明解)でロバスト(強固)な論理構造を持つ面白い論証をWEB上で見つけました。浦野文孝さんの「箸墓は三〇〇年前後、ホケノ山は二七〇年前後:シンプルな根拠」という論稿〔note〕です(注)。要点部分を抜粋引用します。

〝シンプルでわかりやすい根拠
箸墓周濠小枝、ホケノ山小枝群の測定結果と、両者の前後関係をもとに、以下のように整理できます。

・ホケノ山から出土した小枝群の炭素14年代測定によると、ホケノ山古墳は270年前後または4世紀後半の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
・箸墓周濠から出土した小枝の炭素14年代測定によると、箸墓古墳は230年前後または300年前後の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
・ホケノ山古墳→箸墓古墳の順番でつくられたと考えられる
(中略)
・ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、4世紀後半の可能性は消え、270年前後が確定する
・ホケノ山古墳が270年前後で、ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、箸墓古墳の230年前後の可能性は消え、300年前後が確定する

 これが僕の「箸墓古墳は300年前後、ホケノ山古墳は270年前後」の年代推定の根拠になります。とてもシンプルでわかりやすいです。〟

 この浦野さんの論理構造はわかりやすく、反論しにくいように思います。箸墓古墳が300年前後に編年されると、同様に布留0式も300年前後の土器となり、同種の土器が出土した各地の遺構や古墳の編年も軒並み300年頃となり、おそらく「邪馬台国」畿内説の根拠(鏡や土器)が失われるのではないでしょうか。

 ちなみに浦野さんは自説を「卑弥呼博多/邪馬台国大和説」とされていますので、「邪馬台国」東遷説に近いのかもしれません。古田先生の邪馬壹国博多湾岸説とは異なりますが、注目したい論者です。(つづく)

(注)浦野文孝「箸墓は三〇〇年前後、ホケノ山は二七〇年前後:シンプルな根拠」『note』二〇二四年九月二日。
https://note.com/fumitaka_urano/n/n33c623b935b1