2025年07月14日一覧

第3505話 2025/07/14

「海の正倉院」

 沖ノ島祭祀遺跡の中の王朝交替(1)

 7月5日(土)、九州古代史の会の月例会(福岡市早良区ももち文化センター)で、「海の正倉院」と呼ばれている沖ノ島祭祀遺跡出土奉献品の変遷に、九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交替の痕跡が遺されていることを報告しました。講演の冒頭では次のように述べました。

 〝最近のニュースですが、「海の正倉院」と呼ばれている沖ノ島から出土していた国宝「金銅製矛鞘」に象眼文様が確認されたと新聞やテレビが報道し、次のように説明しています。
「当時の東アジアの鞘、矛で最高峰といえる優品。ヤマト王権が沖ノ島の祭祀をいかに重要視していたかを改めて示す発見だ。」
「金銅製矛鞘」はヤマト王権が沖ノ島に奉献したとするこの説明(解釈)は正しいのでしょうか。その根拠はなんでしょうか。そもそも根拠はあるのでしょうか。〟

 日本各地で優れた遺物や遺構が出土すると、学者は申し合わせたかのように、「ヤマト王権からもたらされたもの」「大和朝廷の影響が及んだもの」と説明するのが常ではないでしょうか。そして、その〝隠された根拠〟は、『日本書紀』に記された歴史認識の大枠(日本列島の代表王権は神代の時代から近畿天皇家である)を論証抜きで是とする歴史観、すなわち「近畿天皇家一元史観」と古田武彦先生が呼んだものです。

 もちろん、当人がそのことを自覚しているのか無自覚なのかはわかりませんが、少なくとも学校ではそうならい続け、受験でも教科書に書かれたその歴史観に基づいた回答が正解とされる教育システムの中で高得点をとり続け、大学教授にまで上り詰めた人々が今日の学界の中枢を占めています。

 それでは古田先生が提唱した多元史観・九州王朝説に立てば、今回の「金銅製矛鞘」はどのように位置づけることができるでしょうか。福岡市の講演ではこのことに焦点を絞り、史料根拠を提示し、それに基づく論理を説明しました。(つづく)