第2734話 2022/05/01

『古今和歌集』仮名序傍注の「文武天皇」 (3)

 『古今和歌集』仮名序傍注の「文武天皇」が藤原定家の筆跡になるものとする大久間喜一郎氏の論文(注①)を紹介しましたが、仮名序には柿本人麿についての不思議な記述があります。それは人麿の位階を「おほきみつのくらゐ」(正三位のこと)としていることです。

 「(前略)いにしへより、かくつたはるうちにも、なら《文武天皇》の御時よりぞ、ひろまりにける。かのおほむ世や、哥のこゝろをしろしめたりけむ。かのおほん時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、哥のひじりなりける。これは、きみもひとも、身をあはせたりといふなるべし。(後略)」日本古典文学大系『古今和歌集』仮名序、98~99頁

 正三位は諸王・諸臣の位階に相当し、臣下としては高位です。『万葉集』に見える人麿の姓(かばね)は朝臣(柿本朝臣人麿)であり、天武紀に見える八色の姓(注②)の真人に次ぐ2番目の姓です。真人であれば正三位は妥当かもしれませんが、朝臣である人麿にはやや不適切な位階ではないでしょうか。ちなみに、日本古典文学大系『古今和歌集』の頭注では仮名序の「おほきみつのくらゐ」に対して次のように解説しています。

 「おほきみつのくらゐ ― 正三位。柿本人麿は、万葉集では、持統天皇・文武天皇の時代の人で、身分は六位以下であったろうと考えられている。」日本古典文学大系『古今和歌集』98頁

 このように朝臣姓の人麿は六位以下と考えられています。従って、仮名序に記された正三位という位階は『万葉集』の朝臣姓とは異なる情報に基づいたものと思われます。また、この「おほきみつのくらゐ」の部分には傍注は付されていませんから、定家も特に疑問視していなかったのではないでしょうか。
 ここで注目されるのが、「洛中洛外日記」(注③)で紹介した『柿本家系図』の系譜冒頭の「柿本人麿真人」と由緒書中の「柿本氏ハ 八色姓ノ 第一位ニシテ 人麿ニ 賜リシを真人姓ナリ」という記事です。この「真人」姓であれば、正三位は妥当です。例えば天武天皇の和風諡号は天渟中原瀛真人天皇とされています。また遣唐使として唐に派遣された粟田朝臣真人も名前に真人を有しており、最終的な位階は正三位まで上り詰めています。
 ここからは全くの推測ですが、人麿の没年記事(注④)が九州年号の大長四年丁未(707)で記されていることから、真人の姓(かばね)や正三位の位階は九州王朝(倭国)から与えられたものかもしれません。そうした九州王朝系史料に遺された人麿伝承が、『古今和歌集』仮名序の「おほきみつのくらゐ」や『拾遺和歌集』の渡唐伝承(注⑤)のように、平安時代になると世に出始めたのではないでしょうか。そして、そのような九州王朝系伝承に基づいて記されたのが『柿本家系図』かもしれません。

(注)
①大久間喜一郎「平安以降の人麿」『人麿を考える』万葉夏季大学13、上代文学会編、昭和61年(1986)。
②天武十三年条に見える八色の姓(やくさのかばね)は、真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の八つの姓の制度。
③古賀達也「洛中洛外日記」2699~2711話(2022/03/14~04/03)〝柿本人麻呂系図の紹介 (1)~(8)〟
④『運歩色葉集』に「柿本人丸」の没年記事として「柿本人丸――者在石見。持統天皇問曰對丸者誰。答曰人也。依之曰人丸。大長四年丁未、於石見国高津死。(以下略)」が見える。
 古賀達也「洛中洛外日記」274話(2010/08/01)〝柿本人麻呂「大長七年丁未(707)」没の真実〟
⑤古賀達也「洛中洛外日記」2707話(2022/03/26)〝柿本人麻呂系図の紹介 (6) ―人麻呂の渡唐伝承―〟

フォローする