『先代旧事本紀』研究の予察 (7)
物部氏系とされる『先代旧事本紀』に物部麁鹿火による磐井討伐譚が見えないことを不思議に思い、研究を続けていますが、次の結論に至りました。『先代旧事本紀』編者は『日本書紀』の記事を知っていたが採用(転載)しなかったわけですから、磐井と争った物部氏(筑紫の勢力)と近畿の物部氏(麁鹿火)とは別系統の物部氏であった。すなわち〝多元的物部氏伝承〟という歴史理解です。
この筑紫の物部氏と『日本書紀』の「磐井の乱」記事について、いつの講演会かは失念しましたが、古田先生は次のように言っておられました。
〝『日本書紀』編者が「磐井の乱」記事を継体紀に掲載した理由は、王朝交代時の筑紫を支配していた物部氏は「継体天皇の時代に磐井の乱で活躍した継体臣下の物部氏麁鹿火の末裔である」とする歴史造作の為ではなかったか。〟
この視点は「多元的物部氏伝承」と通じるものです。更に言えば、『日本書紀』編纂当時の九州には物部氏が君臨していたと古田先生は考えておられたと思られます。そうであれば、当時の九州王朝の王族は物部氏であったことになります。今のところ、ここまで断定する勇気はありませんが、九州王朝説にとって未解決の重要なテーマです。古田学派の研究者による研究の進展を期待しています。