九州年号「大化」「大長」の原型論 (4)
九州年号研究の初期の頃、最後の九州年号を大長とするのか、大化とするのかが大きなテーマとなりました。『二中歴』には「大長」がなく、最後の九州年号は「大化」(695~700)で、その後は近畿天皇家の年号「大宝」へと続きますが、『二中歴』以外のほとんどの九州年号群史料では「大長」が最後の九州年号で、その後に「大宝」が続きます。この大長があるタイプ(元年を692年壬辰とする)が丸山モデルと呼ばれ、当時は最有力説と見なされていました。両者は次のような年号立てです(七世紀後半部分を提示。700年以外はいずれも元年を示す)。
【丸山モデル】 【二中歴】
西暦 干支 年号 年号
652 壬子 白雉 白雉 ※『日本書紀』では白雉元年は650年庚戌。
661 辛酉 白鳳 白鳳
684 甲申 朱雀 朱雀
686 丙戌 大化 朱鳥 ※『日本書紀』では朱鳥元年の1年のみ。
692 壬辰 大長
695 乙未 大化 ※『日本書紀』では大化元年は645年乙巳。
700 庚子 同九年 同六年
701 辛丑 (大宝) (大宝) ※大和朝廷の年号へと続く。
丸山モデルの根拠は、丸山氏が収集した九州年号群史料(年代記類)25史料(注①)の内、大長をもたないものは『二中歴』と『興福寺年代記』のみであり、他は全て大長を持っており、その多くは大長元年を692年壬辰としていたことによります(注②)。更に丸山氏は、藤原貞幹が「延暦中の解文」に「大長」を見たと記していることや(注③)、次の史料に大長の実用例が見えることも、自説の根拠とされました(注④)。
○『運歩色葉集』(1537年成立)「大長四季丁未(707)」
○『八宗伝来集』(1647年成立)「大長元年壬辰(692)」
○『伊予三島縁起』(1536年成立)「天武天王御宇天(ママ)長九年壬子(712)」※内閣文庫本には「天武天王御宇大長九年壬子(712)」とする写本がある(注⑤)。
○『白山由来長瀧社寺記録』(『白山史料集』下巻所収)「大長元年壬辰(692)」
○『杵築大社旧記御遷宮次第』「大長七年戊戌(698)」
こうした豊富な史料根拠に基づいて、大長を持つ丸山モデルは成立しており、当初はわたしも支持していました。(つづく)
(注)
①丸山晋司『古代逸年号の謎 ―古写本「九州年号」の原像を求めて―』(株式会社アイ・ピー・シー刊、1992年)所収「古代逸年号史料異同対比表」252~253頁。
②一部に、大長元年を695年乙未(『王代年代記』1449年成立)や698年戊戌(『海東諸国紀』1471年成立、他)とする史料がある。この点、後述する。
③藤原貞幹『衝口発』に「金光ハ平家物語、大長延暦中ノ解文ニ出。」とある。
④上記①の83~84頁。
⑤古賀達也「学問は実証よりも論証を重んじる」『古田武彦は死なず』(『古代に真実を求めて』19集)古田史学の会編、明石書店、2016年。