第3297話 2024/06/04

奈利田浮城『幻想の津軽中山古墳群』

      再読 (3)

奈利田浮城著『古代探訪 幻想の津軽中山古墳群』で紹介された石塔山横穴古墳(役小角墳墓)ですが、その位置と洞窟内外の様子が記されています。

「そして飯詰の村人が言う洞窟なるものは、石塔山梵場平なる約三〇〇坪ほどの傾斜面台地の丘陵中断の一角に径口(入口)約一米(羨門のことで造営時は一米半もあったか)巾一米半位と高さも一米半位の羨道が約一二米ほど続いてあって、そこに巾三米くらいで高さ二米位、奥行一〇米近い玄室が前室と後室に分けられてあったものと思われますが、さらに羨道の前面にかなり広い墓前域があったものと想定されます。なぜかく推定出来るかと申しますと、墓前域には高さ約一米半の五重塔が在ったこと、刻文摩滅破損の石塔が二基在ること、さらに経筒を内蔵させてあった小五重塔が二基も存在したこと、為念、経筒は高さ七寸、口径三寸で筒上に三寸の不動明王を安じて筒面に「役小角歴跡、修験宗大法、不開可」と書いてあり、経筒の中味は樹種不明の木皮漆書が所蔵されてあった。さらに左方塔の下に石造経筥(年代の極め手か)が埋蔵されてあって厚さ一寸の蓋石の中に銅銘板があった由。(後略)」75~76頁

ここに記された「洞窟なるものは、石塔山梵場平なる約三〇〇坪ほどの傾斜面台地の丘陵中断の一角に径口(入口)約一米」という表現が、テレビ東京で放送された〝三身洞〟の様子に似ていることに注目しました(注)。偽作キャンペーンでは、和田家が発見した遺物を偽造品とか古物商から買ったものと批判してきましたが、これら偽作キャンペーンが虚偽であることが、奈利田浮城氏の〝証言〟やテレビ番組の報道内容から、また一段と明らかになりました。同時に、秘宝の在処を書いた「東日流外三郡誌」の真作性の証明にもなったようです。(つづく)

(注)「土曜スペシャル ミステリアス・ジャパン みちのく黄金伝説の謎を求めて」、テレビ東京・キネマ東京作成。MCは中尾彬氏。昭和61年頃の放送。

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