第3323話 2024/07/12

金光上人関連の和田家文書 (6)

 金子寛哉氏が『金光上人関係伝承資料集』で(A)と(D)群に分類した金光上人関連史料について、次の所見が示されています。

(A)群 和田喜八郎氏が持参した記録物数点。薄墨にでも染めたかのような色を呈していた。
(D)群 北方新社版『東日流外三郡誌』の編者、藤本光幸氏より借用した史料。一枚物が多いが、小間切れのものもかなり見られ、奇妙な香りと湿り気を帯びたものがあった。藤本氏によれば、三十年以上も前からそうした状態だったとのこと。他群よりも(D)群の文書はより拙劣であり、誤字(誤記ではなく文字そのものの誤り)が多いことも目立つ。佐藤堅瑞、開米智鎧両師とも、この(D)群資料をその著書に全く用いていない。

 「他群よりも(D)群の文書はより拙劣であり、誤字(誤記ではなく文字そのものの誤り)が多い」とする金子氏の所見は重要です。なぜならこの指摘は、戦後レプリカと明治・大正写本とは筆者や筆跡が異なっていることを示唆しており、和田家文書偽作説を否定するものです。
更に、「薄墨にでも染めたかのような色を呈していた」という所見には、わたしも心当たりがあります。三十年ほど前に一人で和田家文書調査のため津軽に行ったとき、藤本光幸さんからの要請により、藤崎町の藤本邸を訪れたときのことです。数十点はある和田家文書と思われる史料を、原本か模写本か鑑定してほしいとのことで、拝見しました。

 そのとき見たものの多くは、やや厚めの紙を薄墨で古色処理したものでした。これは展示用に外部に提供された戦後レプリカの特徴の一つで、わたしがγ群と定義したもので、学問研究の対象としては信頼性が劣ります。というのも、元本通りに模写したのかどうか不明であり、内容をどの程度信頼してよいのかわからないからです。ちなみに、偽作論者はこうした外部に流出した展示用模写本(戦後レプリカ)の紙質を鑑定して、〝偽書の証拠〟とするケースがあり、それは学問的批判とは言い難いものでした。

 この他にもタイプが異なるγ群史料があります。それは真新しい和紙に書かれた巻物タイプのものです。筆跡は複数あり、明治写本とは大きく異なるものがあります。わたしが実見したのは高楯城展示室に保管されていた巻物六巻、藤崎町摂取院に保管されていた巻物などです。

 こうした戦後レプリカ(模写本)も和田家文書として扱われているため、それらをγ群と分類し、明治・大正写本とは史料性格(作成目的、書写者、書写年代)が異なることを指摘してきました。和田家文書研究にあたっては、この点、留意していただきたいと願っています。(おわり)

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