関川先生と京都講演会の打ち合わせ
今日は奈良新聞本社で考古学者の関川尚功先生(元・橿原考古学研究所々員)と新春古代史講演会(1月19日、京都市)の打ち合わせを行いました。「古田史学の会」では案内チラシを二千部作成し、関西各地の博物館や図書館に配布していますが、今までになく多くのお問い合わせの電話をいただいています。
「ヤマトを発掘して40年 考古学者が語る衝撃の真実 畿内に邪馬台国はなかった」というキャッチコピーと元・橿原考古学研究所の考古学者の講演ということで関心を集めているようで、毎日のように案内チラシを見た人から参加予約が必要かという問い合わせがあります。ちなみに、会場(キャンパスプラザ京都)は定員90名で、事前予約は行っていません。
関川先生との打ち合わせが終わると、いつものように考古学談義が始まります。今回は、なぜ多くの考古学者が「邪馬台国」北部九州説を認めないのかについて、わたしの見解を紹介しました。それは次の二つの理由からではないかと考えています。
(1) 倭人伝に記された奴国(二万余戸)をナ国と読み、博多湾岸(旧地名は「那(ナ)の津」)にある列島内最大の弥生遺跡に比定したため、倭国の都、邪馬壹国(七万余戸)に比定できる弥生遺跡が列島から無くなってしまっ.た。そもそも「奴」を「ナ」とは読めない。「ノ」か「ヌ」であろう(注①)。
(2) 北部九州の弥生墓の編年を誤り、その結果、卑弥呼の時代(三世紀)の王墓が北部九州から無くなってしまった。梅原末治氏が晩年に発表した、須玖岡本遺跡(福岡県春日市)から出土した虁鳳(キホウ)鏡が魏の時代の鏡であり、同遺跡は三世紀の弥生墓とする研究を考古学界は無視した(注②)。
この二点を関川先生に申し上げたところ、さすがは考古学者ですから、北部九州の弥生末期の墳墓の名前をいくつかあげられ、三世紀の弥生墓があることを教えて頂きました。このようなお話しが来年の新春古代史京都講演会でもお聞かせ頂けるのではないでしょうか。
なお、10月に開催した東京講演会の動画配信(関川先生、正木裕さん)を「古田史学の会」ホームページ『新古代学の扉』でスタートしました(注③)。記念すべき講演ですので、古代の真実と学問を愛する多くの皆様に見て頂きたいと願っています。そして京都講演会にもおこし頂ければと思います。同講演会後、講師の先生方を囲んでの懇親会も企画中です(人数制限あり)。
(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」780話(2014/09/06)〝奴(な)国か奴(ぬ)国か〟
同「洛中洛外日記」1507話(2017/09/24)〝倭人伝の「奴」国名と現代日本の「野」地名〟
②同「洛中洛外日記」873話(2015/02/14)〝須玖岡本D地点出土「キ鳳鏡」の証言〟
同「洛中洛外日記」1988話(2019/09/12)〝梅原末治さんの業績と不運〟
③「古田史学の会」ホームページ『新古代学の扉』に収録。
https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html#tokyo