白雉改元の宮殿(3)
『日本書紀』孝徳紀白雉元年二月条(650)に見える白雉改元の儀式には奇妙な点があることが、かなり以前から古田学派内で指摘されてきました。わたしの記憶では中村幸雄さん(故人)が20年以上前に口頭発表されていたように思います。それは白雉を乗せた輿をとる人の数が変化することです。
孝徳紀によれば、輿をとる人々が合計3グループあり、最初の2回は四名(前二人、後ろ二人)ですが、天皇の前まで運ぶ時は五名に増えています。しかも、 前が二人(左右の大臣)で後ろが三人(伊勢王ほか)です。普通、輿の棒は前後に二本ずつ出ており、四名でちょうどぴったりの人数になるのですが、最後だけは輿の後ろに三名がいるのです。その三名のうちの一人、伊勢王ですが、「王」の称号を持ちながら出自が不明な謎の人物です。そこで、この伊勢王こそ白雉を献上された主人公で九州王朝の天子ではなかったかという指摘がなされてきたのでした。近年では正木裕さんがこの立場をとっておられます。わたしも魅力的で 有力な仮説だと思っています。
この仮説が正しければ、近畿天皇家は『日本書紀』編纂にあたり、九州王朝と近畿天皇家の大義名分(主人公)を逆転(取り替えて)させて、白雉改元の儀式を盗用したと考えられるのです。(つづく)