三十年ぶりの鬼室神社訪問(6)
約三十年前、わたしが鬼室集斯墓碑の研究を始めた頃、同墓碑研究の先学の存在を知りました。胡口康夫さんという研究者です。実地調査に基づく実証的な研究を得意とされる方で、その論文「鬼室集斯墓碑をめぐって」(『日本書紀研究』第十一冊、1979年)に興味深い史料が紹介されていました。それは胡口さんが現地調査により見いだされたもので、鬼室集斯の末裔を称しておられる日野町小野の辻久太郎家に伝わる『過去帳』の次の記事です。
「鬼室集斯が庶孫ニシテ室徒中ノ
筆頭株司ナリ代々庄屋ヲ勤メ郷士
トシテ帯刀御免ノ家柄ナリ名ハ代々
久右衛門ト称ス
近江国蒲生郡奥津保郷小野村
ノ住人(略)
辻久右衛門尉
宝永三年(一七〇六)正月 釈 念心」
この『過去帳』などから、小野では鬼室集斯の末裔が鬼室神社の氏子や神職として代々続いていたことが判明したのです。
その後、わたしと胡口さんとの間で学問的交流が始まり、著書『近江朝と渡来人―百済鬼室氏を中心として』(雄山閣刊、1996年)を贈呈していただきました。その中に、鬼室集斯墓碑江戸期偽造説を否定する新発見の史料が紹介されていました。(つづく)