第2209話 2020/08/21

高良玉垂命と甲良町と高良健吾さん

 前話に続き、滋賀県と九州王朝関係の話題をもう一つ紹介します。飛鳥時代の絵画が発見された西明寺がある滋賀県甲良町が、筑後の高良大社(祭神は高良玉垂命)と関係があることは、「洛中洛外日記」147話(2007/10/09)〝甲良神社と林俊彦さん〟で既に指摘した通りです。御祭神の高良玉垂命が五世紀頃の九州王朝の王(倭の五王)であったとする研究もわたしは発表しています(注①)。
 そのご子孫が筑後地方に現在も続いていることが判明しています。稲員(いなかず)、鏡山、神代(くましろ)、隈(くま、大善寺玉垂宮神官の家系)と名乗られている一族です。ところが、地元(高良山の近傍)にはそのものずばりの「高良」というお名前をわたしは聞いたことがありませんでした。
 他方、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で高杉晋作役をされた人気俳優の高良健吾さんは、そのお名前から九州王朝と縁(ゆかり)のある方ではないかと思っていたところ、2016年の熊本大地震で、故郷の熊本にボランティアで救援活動に行かれたとの報道に接し、やはり九州のご出身であったのかと納得したものです。ですから、何らかの事情で「高良玉垂命」の御子孫は、地元では「高良」を名乗らず、他県で「高良」を名乗られたことになるわけです。
 似たような例で、わたしのご先祖は星野を名乗っていたのですが、豊臣秀吉の九州征伐(侵略)のとき、抵抗した星野宗家は滅び、新潟県小千谷市まで逃げ延びた者は当地で星野を名乗り続けました。九州に残った者は名前を変えて潜伏したようです。わたしのご先祖は、星野から佐藤に姓を変えて加藤清正公に仕え、その後、筑後の浮羽郡古賀に土着したことから古賀姓になったと伝えられています。
 このような例があることから、高良健吾さんのご先祖も九州王朝滅亡時に肥後に逃れ、高良を名乗られたのではないかと想像していました。
 その後、「高良」性は鹿児島県に多く分布していることが、久留米市在住の歴史研究者、犬塚幹夫さん(古田史学の会・会員)から教えていただきました。下記の通りで、「高良」さんが久留米市におられることもわかりました。薩摩地方に「高良」姓が多いことは、九州王朝滅亡時に薩摩まで落ち延びた九州王朝王族(筑紫君薩野馬か。鹿児島県大宮姫伝説に関する正木裕さんの優れた研究があります。注②)と関係するのではないでしょうか。犬塚さんの調査結果と説明文を抜粋して転載します。

(注)
①古賀達也「九州王朝の筑後遷宮 玉垂命と九州王朝の都」『新・古代学』第四集(新泉社。1999年)
②正木裕「大宮姫と倭姫王・薩末比売」『倭国古伝 姫と英雄と神々の古代史』(古田史学の会編、明石書店。2019年)

【姓名検索サイトでの調査報告・犬塚幹夫さん】(2016年)
全国計  1,420人
 このうち10人以上いる都道府県(単位:人)
埼玉県    10
東京都 27
神奈川県   25
静岡県 16
愛知県 11
大阪府 42
兵庫県 13
広島県 11
山口県 12
福岡県 115
熊本県 11
鹿児島県 54
沖縄県 1,004

 このうち断トツに多い沖縄県は、現那覇市の高良(たから)という地名を名乗ることになった一族とされており、九州王朝とは関係ないと思われます。
 福岡県、熊本県、鹿児島県の内訳は次のとおりです。

福岡県   115
 久留米市   38
 朝倉市    34
 福岡市    13
 北九州市    7
 大刀洗町    5
古賀市      3
 飯塚市     3
 その他    12

熊本県    11
 熊本市     3
 山鹿市     3
 荒尾市     2
 玉名市     1
 合志市     1
 南関町     1

鹿児島県   54
 南九州市   19
 鹿児島市   15
 南さつま市   6
 薩摩川内市    4
 曽於市      3
 指宿市      2
その他 5

 各県の傾向について言えば、まず福岡県は、県内の大都市圏である福岡市と北九州市を除けば久留米市と朝倉市に集中し、熊本県は福岡県に近い県北地方に分布し、鹿児島県は薩摩地方がほとんどを占めており大隅地方や島部はごくわずかということが分かりました。非常に興味深い結果です。(転載、終わり)

フォローする