「倭の五王」王都、大宰府政庁説の淵源(4)
―水城出土物の放射性炭素年代測定値―
「坂田測定」では「1950年より2250年前±80年」とあるKURI 0102「大宰府町水城堤防の中の杭」は水城本体からの出土ですから、その測定値(BC300年頃)が正しければ、それは水城の造営年代を示すはずです。しかし、これまで報告されている水城出土物の放射性炭素年代測定値とは大きく異なります。たとえば次の測定値が報告されています(注①)。
○第35次発掘調査(2001年)
敷粗朶層サンプル中央値 660年(最上層)、430年(坪堀1中層第2層)、240年(坪堀2第2層)
(第38次調査出土木材測定時に追加測定)
暦年較正年代(1σ) 粗朶540~600年、葉653~760年、葉658~765年
○第38次調査(2004年)
暦年較正年代(1σ) 木杭(外皮)777~871年
○第40次調査(2007年)
暦年較正年代(1σ) 敷粗朶木片675~719年(41.7%)・742~769年(26.5%)、炭化物675~718年(42.0%)・743~769年(26.2%)
※測定値が示す年代期間に複数のピークが存在する場合、複数の年代が発生し得ます。その場合、どちらの年代がどの程度妥当かの確率を示したものが()内の%の数値です。(古賀)
以上のように、水城の学術発掘調査により検出した木材などの放射性炭素年代は、その大半が七世紀以後の測定値を示しています。古いものでも三世紀です。従って、「坂田測定」による杭の年代(BC300年頃)だけがかけ離れたものであることがわかります。従って、他の測定値を否定して、「坂田測定」のみを是とすることは、学問的にはあり得ないことです。
もし「坂田測定」の値を正しいとできるケースがあるとすれば、樹齢千年以上の大木を裁断加工して杭に使用し、大木の芯中部分をサンプルとして測定したという場合ですが、水城から出土している木杭は、「全て広葉樹の丸木材で、基本的には先端を加工しただけの簡単なもの」(注②)と報告されていますから、それは考えにくいと思います。
結論として、「坂田測定」を根拠に水城の造営年代を論じることは危険と言わざるを得ません。同時に、大宰府政庁「倭の五王」王都説のエビデンスとして「坂田測定」を使用することもできないとするのが、合理的で穏当な判断ではないでしょうか。(つづく)
(注)
①『水城跡 下巻』九州歴史資料館、平成二一年(2009)、327~332頁。
②同①、219頁。「杭(26~48) 全て広葉樹の丸木材で、基本的には先端を加工しただけの簡単なものである。」