第2510話 2021/07/04

九州王朝(倭国)の仏典受容史 (6)

 『歴代三宝紀』にあった支謙訳「阿弥陀経二巻」

 九州年号の僧要年間(635~639年)に九州王朝(倭国)へ伝来したと思われる一切経『歴代三宝紀』(費長房撰述。1076部、3292巻)に鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』(402年頃訳出)を見つけることができずにいたのですが、『印度学仏教学研究』(注①)に掲載された眞野龍海氏の論文「小阿彌陀經の成立」によれば、鳩摩羅什訳よりも古い求那跋陀羅訳の「阿弥陀経」があるとのこと。そこで、『歴代三宝紀』の鳩摩羅什よりも前を重点的に探し直したところ、魏の文帝の時代(220~226年)に「阿弥陀経二巻」という記述を見つけることができました。その解説部分には「魏文帝世。月支國優婆塞支謙」とあり、月支國の僧、支謙が漢訳したとされています。同解説によれば支謙は「百二十九部百五十二巻」の経典を訳しており、その時代を代表する訳経僧だったようです。
 残念ながら、支謙訳「阿弥陀経二巻」そのものを見つけることはまだできておらず、内容を知ることができません。現存していないのかもしれません。
 九州王朝内で成立したと思われる「命長七年文書」(646年成立。注②)が「阿弥陀経」の影響を色濃く受けていることは確かですから、僧要年間(635~639年)に伝来した一切経『歴代三宝紀』に含まれている支謙訳「阿弥陀経二巻」の影響を受けた可能性が出てきました。確かに、そう考えた方が良いと思われることがあります。それは「命長七年文書」と鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』とでは使用されている用語に異なる部分があるからです。

○「命長七年文書」
         「御使 黒木臣
名号称揚七日巳(ママ) 此斯爲報廣大恩
仰願本師彌陀尊 助我濟度常護念
   命長七年丙子二月十三日
進上 本師如来寶前
        斑鳩厩戸勝鬘 上」

○鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』
 「舍利弗。若有善男子。善女人。聞説阿弥陀仏。執持名号。若一日。若二日。若三日。若四日。若五日。若六日。若七日。一心不乱。」

 「命長七年文書」では「名号称揚」、『仏説阿弥陀経』では「執持名号」とあります。すなわち、「命長七年文書」では「斑鳩厩戸勝鬘」自身が七日間にわたり「名号称揚」(阿弥陀仏の名前を褒め称える)したと読めますが、『仏説阿弥陀経』では〝善男子や善女人が、阿弥陀仏を説くことを聞き、一心不乱に七日間「執持名号」すれば〟という内容であり、「執持名号」とは〝阿弥陀仏の名前を作意(思惟)する〟の意味とされています(注③)。従って『仏説阿弥陀経』の文章から、「名号称揚」という表現は生じにくいのではないでしょうか。
 こうした理由から、九州王朝に伝わった「阿弥陀経」は鳩摩羅什訳ではなく、僧要年間(635~639年)に伝来した一切経『歴代三宝紀』に含まれた支謙訳「阿弥陀経二巻」ではないかと推定するにいたりました。もちろん、支謙訳「阿弥陀経二巻」の内容が不明ですので、断定することはできません。なお、先に『歴代三宝紀』に『仏説阿弥陀経』が見つからないとしたのは不正確でした。「鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』は見つからない」に訂正します。(つづく)

(注)
①『印度学仏教学研究』第14巻 第2号。日本印度学仏教学会、昭和四一年(1966)三月。本書を京都府立洛彩館の方に紹介いただいた。
②『善光寺縁起集註(4) 』天明五年(1785)成立に集録。
③ワイド版岩波文庫『浄土三部経(下)』(岩波書店、1991年)175頁の解説による。

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