難波宮整地層出土「須恵器坏B」の真相(補)
「洛中洛外日記」で連載した表題のテーマについて、学術論文とするために加筆削除修正などを行い、『古田史学会報』に投稿しました。特に論証上必要な次の「注」を加えましたので、ご参考までに転載します。
【以下、転載】
③『難波宮址の研究 研究予察報告第四』掲載須恵器「35」と『難波宮址の研究 研究予察報告第五 第二部』掲載須恵器[7]が同じ土器であると判断したのは次の資料事実等による。
(a)それぞれの図版を比較すると、両土器のサイズや形態が近似している。
(b)『研究予察報告第四』には発掘調査地区名(出土地)を「第十二次北地区」としている。他方、『研究予察報告第五』では「第十四次東地区(第十二次北地区)」と併記されており、「第十二次北地区」と「第十四次東地区」が同じ場所であることを示している。
(c)『研究予察報告第四』には須恵器「35」以外に子持勾玉「37」が掲載されているが、その勾玉と同型同サイズで破損箇所も同じ子持勾玉「6」が『研究予察報告第五』に掲載解説されている。このことから、『研究予察報告第四』では解説無しで実測図に掲載された出土物が『研究予察報告第五』で再録解説されていることがわかる。同様の再録遺物はこの他にも見える。
このように『研究予察報告第四』の実測図に解説無しで掲載された須恵器「35」などを、次号の『研究予察報告第五』で再録解説した事情について、両報告書の執筆者である中尾芳治氏に確認したいと考えている。