明帝、景初元年(237)短里開始説の紹介(5)
景初元年短里開始説の論証に成功した西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)の論文「短里と景初 ―誰がいつ短里制度を布いたのか―」が収録された古田史学の会編『邪馬壹国の歴史学 ―「邪馬台国」論争を超えて―』(ミネルヴァ書房、2016年)は、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)による編集の下、わたしたち「古田史学の会」が作り上げた渾身の一冊です。中でも短里の研究は白眉を為すもので、古田武彦先生の遺稿となった同書巻頭文〝「短里」と「長里」の史料批判 ――フィロロギー〟で、次のような過分の評価をいただきました。
〝「古田武彦はなかった」 ―― いわゆる「学会の専門家」がこの四~五年とりつづけた〝姿勢〟である。
けれども、この一書(『邪馬壹国の歴史学 ―「邪馬台国」論争を超えて―』)が出現し、潮目が変わった。新しい時代、研究史の新段階が出現したのである。
「短里」と「長里」という、日本の古代史の、否、中国の古代史の〝不可欠〟のテーマがその姿をキッパリと姿を現した。
この八月八日(二〇一五)はわたしの誕生日だ。この一書は、永年の「待たれた」一冊である。
〔中略〕
やがてわたしはこの世を去る。確実に。しかし人間の命は短く、書物や情報のいのちは永い。著者が死んだ時、書物が、生きはじめるのである。
今、波多野精一さんの『時と永遠』(岩波書店、昭和十八年)を読んでいる。
この時期から今まで、ようやく「短里」と「長里」問題を、実証的かつ論証的に論ずることができる。具体的にそれを証明するための、画期的な研究史にわたしたちは、今巡り合うたのである。
平成二十七年八月八日校了〟
同書収録の拙稿「『三国志』のフィロロギー ―「短里」と「長里」混在理由の考察―」の原稿を読まれた古田先生からお電話があり、お褒めの言葉をいただきました。先生のもとで古代史を学び始めて三十年、叱られることの方が多かった〝不肖の弟子〟でしたが、最後にいただいたこのお電話は忘れがたいものとなりました。
同書の上梓を前に先生は亡くなられ(二〇一五年十月十四日、八九歳)、この巻頭文は遺稿となりました。同書を企画編集された服部さんとミネルヴァ書房の田引さんに感謝申し上げます。(おわり)