井真成一覧

第2910話 2023/01/07

「井真成」の村、熊本県産山村

2005年から始めた「洛中洛外日記」第1回のテーマは「井真成(いのまなり)異見」でした。当時、中国で発見された「井真成墓誌」が注目され、井真成の出身地について諸説が出ました。古田先生は、「井(wi)」は上古音の「倭(wi)」に由来するのではないかとされました。すなわち、倭国(九州王朝)の王族か関係者の末裔の可能性を示唆され、その傍証として、現代の苗字の「井」さんの分布が熊本県阿蘇郡の産山村・南小国村・一ノ宮町に濃密であることに着目されました。
同研究は大きな進展を見せることもなく今日に至っていますが、昨年末に物理学者の上村正康先生から次のメールが届きました。要約して紹介します。

古賀達也様
本日(12/26)の朝日新聞夕刊(福岡地区)社会面の大きな記事(「全国の井さん集まれ 産山村村おこし」)を見て、古賀さんにお知らせ致したくメールいたしました。この記事は、九州地区だけではないでしょうか。
記事を見てすぐ思い出したのは、2004年に中国で発見された在唐の日本留学生「井真成」墓誌の発見報道です。この墓誌の重要性から、大きな話題になりました。古賀さんも「洛中洛外日記」の第1話(2005/06/11)で「井真成(いのまなり)異見」を発表されています。
というわけで、古賀さんからこの産山村の「全国いーさん祭り準備委員会」実行委員長(村商工会 会長)井博明さんに連絡を取られて解説・宣伝されたら如何でしょうか。
厳寒に向かいます。ご自愛ください。良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。
12月26日 上村正康

上村先生は九州大学教授時代の頃から古田先生の支持者です。1991年に福岡市で開催された物理学の国際学会のバンケットスピーチでは、邪馬壹国説・九州王朝説を紹介され(注①)、参加各国の物理学者の関心を集めました。上村先生とは「市民の古代研究会」時代からのお付き合いで、近年では2019年7月に博多駅でお会いし、旧交を温めました(注②)。
このメールをいただいたことがきっかけとなり、「井(いい)(い)」姓について改めて考えてみました。以前から気になっていたのですが、江戸幕府大老の井伊直弼で有名な彦根藩の井伊家も本来は「井(いい)」だったのではないでしょうか。同家系図(注③)によれば始祖を「大織冠鎌足」としており、そこからは九州王朝との関係はうかがえません。しかし、鎌足を始祖とする北部九州の氏族(注④)が散見されますので、系図の信頼性も含めて検討が必要と思われます。なお、「井伊」さんの最濃密分布地は愛媛県であり、その由来も知りたいところです。
もう一つ気になっていることがあります。現代の「井」さんの最濃密分布地は阿蘇郡産山村とその近隣ですが、小分布が長崎県対馬市にあります。壱岐・対馬は天孫族の故地ですから、この分布にも歴史的背景があるように思います。こうしたことも九州王朝説に基づく研究と解明が必要です。

(注)
①1991年11月に福岡市で開催された物理学国際学会の晩餐会で、古田説を英語で紹介(GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY:金印と九州王朝)した。
②古賀達也「洛中洛外日記」第1938話(2019/07/13)〝物理学者との邂逅、博多駅にて〟
③「井伊系図」『群書類従系図部集 第五』1985年。
④菊池氏、星野氏、他。


第1話 2005/06/11

「井真成(いのまなり)異見」

 古田史学の会事務局長の古賀達也です。いつも本会のホームページ「新・古代学の扉」を御覧いただき、有り難うございます。皆様のご愛顧に感謝しまして、新コーナー「古賀事務局長の洛中洛外日記」を連載することにしました。古田史学の会や古田学派内部のホットな話題、古田武彦先生の近況などを書き込んでいきます。ご期待下さい。
 第一話は最近何かと話題になっている「井真成(いのまなり)」についてです。中国で発見された墓誌により「井」さんが遣唐使として中国に渡り、当地で没したことが明らかになったのですが、藤井さんとか○井さんとかが日本名の候補として上げられているようです。他方、「井」という姓が日本に存在することから、文字通り「井(せい)」さんではないかという異見も出されています。古田先生もこの「井」という姓に注目されています。
 電話帳で調べた結果では、熊本県に圧倒的に濃密分布しています。中でも産山村・南小国町・一ノ宮町が濃密です。この分布事実は九州王朝説の立場からも大変注目されるところです。なお、井真成墓誌の読解について古田先生が新説を口頭発表されています(2005年5月22日、東京)。いずれ活字化されると思います。乞うご期待。
 「井」姓の分布表を掲載