古賀達也一覧

第36話 2005/10/16

例会報告・シルクロードの旅

 10月15日、一日中雨が降る中、古田史学の会関西例会が行われました。ビデオ鑑賞の後、木村賢司さんよりシルクロードの旅の報告がありました。9月16日から11日間、田村映二さん(本会会員・交野市)とご一緒に西安からウルムチ・トルファン・敦厚などを巡る豪華な旅の報告でした。中でも西安での楊貴妃が入ったお風呂の話は初耳でしたので興味深く聞きました。
 わたしも中国へは二度ほど行ったことがあるのですが、いずれも仕事でしたので、観光など全くできませんでした。昼間はプレゼンとお得意様回り、夜はフライトで深夜にホテル着という毎日。特に二回目などはフフホトのホテルで目覚めると、ちょうど9月11日で、同時多発テロが発生。それからというもの、中国国内のフライトはホディチェックが厳しくなり閉口しました。
 例会の内容は下記の通りです。参加費は500円です。ぜひ、初めての方もご参加下さい。二次会の懇親会も、毎回盛り上がっています。

〔古田史学の会・10月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「日本の古代・九州の地域学」
○研究発表
1 なにわ男の「旅の恥はかき捨て」(豊中市・木村賢司)
2 筑後国風土記の「山」について(向日市・西村秀己)
3「親王」と「皇子」と「王」の間(4)
 ─竹生王(たかふのおおきみ)─(相模原市・冨川ケイ子)
4 彦島物語II「顕国玉・大国主・大己貴」(大阪市・西井健一郎)
5 白雉改元の史料批判(京都市・古賀達也)

○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・ほうれん草の語源・他


第9話 2005/07/03

明治時代の九州年号研究

 今年、古田史学の会が発行した『古代に真実を求めて』8集には、九州年号研究史に関する重要な論文2編が収録されています。一つは自画自賛になり恥ずかしいのですが、わたしの「『九州年号』真偽論争の系譜」で、昨年10月に京都大学で開催された日本思想史学会で発表した内容を論文にしたものです。主に江戸時代における九州年号真偽論にふれたもので、新井白石は実証的な真作説(ただし、大和朝廷の年号で正史から漏れたものとする)、対して貝原益軒は皇国史観に立った偽作説(僧侶による偽作)であることなどを紹介しました。
 もう一つの論文は冨川ケイ子さんによる「九州年号・九州王朝説 — 明治25年」で、なんと明治時代において九州年号を真作とする説が、当時の大家から論文発表されていたという内容です。わたしもこの事実を関西例会で冨川さんからお聞きしたとき、大変驚きました。古田先生以前に、初歩的ではありますが、「九州王朝説」や九州年号真作説が発表されていたのですから。
 その大家の論文とは今泉定介「昔九州は独立国で年号あり」と飯田武郷「倭と日本は昔二国たり・卑弥呼は神功皇后に非ず」で、特に飯田武郷は大著『日本書紀通釈』の著者として有名です。これらの論文は明治25年発行の『日本史学新説』広池千九郎著に収録されており、国会図書館のホームページ内「近代デジタルライブラリー」で閲覧できます。詳細は『古代に真実を求めて』8集を是非お読み下さい。
 このような研究史から埋もれていた貴重な論文を発見された冨川さんの業績は、古田学派による2004年度を代表する学問的成果の一つと言えます。ちなみに、冨川さんは相模原市に住んでおられますが、毎月の関西例会に新幹線で参加されるという熱心な会員さんです。その学問への情熱には本当に頭が下がります。

古賀氏の論文の原史料は闘論★九州年号をご覧下さい


第3話 2005/06/16

マリアの秘密

 近年、古田先生はナグ・ハマディ文書にある「トマスの福音書」研究に打ち込んでおられます。古代エジプト語のコプト語をマスターするために、某大学のコプト語講座を受講されているほどだから、その取り組み方や尋常ではありません。来年、80才になられるというのに、学問的情熱は衰えを知らない。本当に頭が下がります。
 そんな先生の影響で、「古田史学の会」関西例会でもイエスやキリスト教をテーマとする発表が増えてきました。中でも、西村秀己さん(古田史学の会全国世話人・向日市在住)が発表された「『マリア』の史料批判」(『古代に真実を求めて』8集所収。2005年、明石書店刊。初出「古田史学会報」62号)は歴史に残る秀逸な論文ではないでしょうか。
 新約聖書には聖母マリアを筆頭にイエスの周辺にマリアの名前を持つ女性が数人います。これまでは、マリアという名前は日本の花子さんなどと同様にありふれた名前だから、イエスの周辺にも多くいる、と説明されてきました。しかし、それは本当でしょうか。当時マリアはそれほどありふれた名前だったのでしょうか。ここに西村さんは疑問を抱かれました。そして、ありふれた名前かどうかを調べるために、なんと旧約聖書に出てくる全ての女性の名前を抜き出されたのです。
 その結果、旧約聖書中の女性126名の内、マリア(ミリアム)はたった一人だけ。マリアは決してありふれた名前ではなかったのです。それではなぜイエスの周りにだけ多くのマリア(4〜5名)が集まったのか。その秘密は論文をお読み下さい。
 わたしが最も感心したのは、西村さんの結論だけではなく、旧約聖書の中の女性名を全て調べるという「方法」でした。古田先生が『「邪馬台国」はなかった』で、『三国志』の中の「壹」と「臺」の字を全て抜き出された、あの「方法」を髣髴とさせます。これこそ、古田学派の面目躍如。お見事、と言うほかありません。

マリアの史料批判(古田史学会報No.62 2004年6月1日)

原初的宗教の資料批判――トマス福音書と大乗仏教 古田武彦
(『古代に真実を求めて』第八集)