貨幣一覧

第496話 2012/11/23

越智国のアンチモン鉱山

 冨本銅銭や古和同銅銭に多く含有されているアンチモンですが、その産地はどこてしょうか。国内の鉱山では愛媛県西条市の
市之川鉱山が世界的に有名なアンチモン鉱山でした。現在は閉山されていますが、古代の越智国(合田洋一説)にあたる西条市に最大級のアンチモン鉱山があっ
たことは注目されます。
 文献的にも『続日本紀』文武2年条(698)に次の記事が見え、この「白(金へん+葛)」は従来はスズのことと見られていましたが、愛媛県にはスズ鉱山
がないことから、アンチモンのこととする研究が発表されています(成瀬正和「正倉院銅・青銅製品の科学的調査と青銅器研究の課題」『考古学ジャーナル』
470、2001年)。

 「伊予国が白(金へん+葛)を献ず。」(『続日本紀』文武二年七月条)

 合田洋一さん(古田史学の会・四国、全国世話人)から教えていただいたことなのですが、『日本書紀』持統5年(691)7月条にも次の記事があり、やはり愛媛県から「白銀」が献上されています。

 「伊予国司の田中朝臣法麻呂等、宇和郡の御馬山の白銀三斤八両・あかがね一籠献る。」

 「宇和郡の御馬山」とは宇和島市三間町とみられ、当地にもアンチモン鉱山跡があるそうですから、この「白銀」もまたアン
チモンのこと推察されます。これらの記事により、古代の伊予国・越智国から冨本銅銭や古和同銅銭の原料となったアンチモンが供給された可能性が大きいので
す。また、正倉院にアンチモンのインゴットがあることも知られています。
 ちなみに、愛媛県には「中央構造線」にそっていくつかのアンチモン鉱山の存在が知られており、その中でも西条市のアンチモン鉱山は世界的に見ても大規模
なものだったことが知られています。古代の越智国はアンチモンなどの金属がその繁栄の主要因だったのかもしれません。(つづく)


第495話 2012/11/22

古代貨幣とアンチモン

 昨日は経産省に行った後、横浜に立ち寄りました。仕事を終えて帰る前に横浜市在住の安藤哲朗さん(多元的古代研究会・会長)に久しぶりにお会いし、最近の研究状況について語り合いました。その後、名古屋まで戻り、今朝は一宮市にいます。関西例会のときの風邪もようやく治りました。

 古田先生らと取り組んだプロジェクト「貨幣研究」において、古田先生やわたしは冨本銭や和同開珎を九州王朝の貨幣とする 見解を報告しました。そのときの主たる根拠は文献史学から提起したもので、たとえば冨本銭と和同開珎はその他の近畿天皇家発行の古代貨幣とは異なり、『日本書紀』や『続日本紀』にその銭文が記録されていないという点や、その他の貨幣の銭文にある最後の一字の「寶」という字が使用されていないという差異を根拠に、本来は別王朝により発行されたものではないかと考えました。
 他方、九州王朝貨幣とする仮説には弱点もありました。それは考古学的出土分布の中心が近畿であり、九州ではないということでした。これは学問的には無視できない弱点でしたので、わたしは和同開珎をもともとは九州王朝が発行したものとする仮説に充分な確信を持てずにいたのでした。
 そのようなときに読んだのが斎藤努著『金属が語る日本史』(吉川弘文館、2012年11月刊)でした。同書には科学的分析手法(電子線スキャニング・バルク組成分析法)に基づいた貨幣の組成分析値が示されており、その中に「古和同」と「冨本銭」はアンチモンの含有率が非常に高いという指摘がありました。 わたしはこのアンチモンに興味を抱きました。仕事で各種金属について勉強する機会があるのですが、通常、銅銭には銅の他にスズや鉛が混ぜられていることが多く、スズや鉛よりも珍しい金属のアンチモンが古代日本で最古の貨幣に属する「古和同」と「冨本銭」に多く含まれているとは意外でした。
 なお、「古和同」とは銭貨研究家がその銭文などの差異から、和同開珎を古いタイプと新しいタイプの二種類に分類したもので、古いとされたものを「古和同」、新しいとされたものを「新和同」と呼ばれています。その「古和同」銅銭の方にアンチモンが多く含まれており、和同開珎よりも古い貨幣である「冨本」銅銭にも同様にアンチモンが多く含まれていることは、両者が共通の原料と技術で鋳造されたことがうかがわれます。
 こうした自然科学的組成分析により、冨本銭と和同開珎が九州王朝の貨幣とする仮説が補強されるように思われるのです。(つづく)


第494話 2012/11/20

斎藤努著『金属が語る日本史』を読む

 今朝は東京に向かう新幹線の車中で書いています。明朝、霞ヶ関の経済産業省に用事があるため、今日から東京に入ります。

 最近読み始めたのが斎藤努著『金属が語る日本史』(吉川弘文館、2012年11月刊)という本ですが、古代貨幣や日本刀・鉄砲の歴史を自然科学的分析から考察されており、論理的で読みやすい本です。もちろん、その自然科学的分析結果の評価は近畿天皇家一元史観に基づいていますから、多元史観・九州王朝説の視点から見ると、不十分であることは避けられません。しかしそれでも参考になる一冊でした。
 25年ほど昔、わたしが古田先生の著作に感銘を受けて、稚拙ながらも古代史研究を開始したとき、その主たるテーマは「九州年号」と「古代貨幣」でした。 その内、九州年号については昨年末に『「九州年号」の研究』をミネルヴァ書房より上梓でき、一区切りついたのですが、「古代貨幣」研究については、まだまだ研究成果をまとめられる域に達していません。
 1999年に古田先生らと「貨幣研究」プロジェクトチームを立ち上げ、飛鳥池遺跡から出土して話題となっていた冨本銭や和同開珎などを取り上げました。 その参加者各人の報告が『古代に真実を求めて』第3集に収録されていますのでご参照ください。プロジェクトでは主に文献史学の立場からの報告が多く、いわゆる「合意形成」や「結論」が出されたわけではありませんが、多元史観によって古代貨幣を含む貨幣史に迫ろうとする野心的な取り組みでした。
 メンバーは古田先生・木村由紀雄さん・浅野雄二さん・山崎仁礼男さんと古賀の五名で、各人の報告は「古田史学会報」や友好団体の会紙に掲載されました。 さらに古田先生からは報告以外にも膨大な先行論文のコピーが提供され、いまでも貴重な資料として大切に保管・利用しています。
 プロジェクト終了後もわたしは古代貨幣に強い関心を持ち続けていましたが、古代貨幣研究は文献史学にとどまらず、考古学・自然科学(材質分析・金属工学)・貨幣経済史などを網羅したテーマですので、浅学なわたしには骨の折れる課題でした。そんなときに斎藤努著『金属が語る日本史』が書店で目に留まり読み始めたのですが、おかげで古代貨幣に関する新知見を得ることができ、わたしの研究心が再び沸き起こったのです。
 著者の斎藤さんは東京大学大学院で化学を専攻され、現在は国立歴史民俗博物館研究部教授と紹介されています。わたしも化学を専攻しましたが、有機合成化学だったので無機化学や金属についてはあまり詳しくありませんから、同書の解説は大変勉強になりました。現在、同書で紹介された古代貨幣の材質分析結果を、九州王朝説の視点から読み説こうとしています。洛中洛外日記で少しずつ紹介していきたいと思います。

 今、新幹線は駿河湾付近を走行中ですが、座席がA席(海側)なので、富士山は見ることができません。せっかくの晴天なのに残念です。(つづく)