第1276話 2016/09/29

四天王寺か天王寺か

  貞享4年(1687)・文久3年(1863)

 「洛中洛外日記」1275話で寛文11年(1671)作成の大坂古地図に今の四天王寺が「天王寺」と記されていることを紹介しましたが、大阪歴博に掲示されていた他の2枚の古地図についても紹介します。
 ひとつは寛文11年(1671)大坂古地図とほぼ同時代の貞享4年(1687)、もう一つは幕末の文久3年(1863)のものです。前者には天王寺、後者には四天王寺と寺名が表記されており、貞享4年(1687)と文久3年(1863)の間で寺名が変更されたことがうかがえます。その間に作成された古地図があれば、変更時期をさらに限定できるかもしれません。これら3枚の古地図から、17世紀には天王寺と呼ばれていたが幕末には四天王寺に変更されたと考えてよいと思います。幕末頃の水戸国学の影響により、『日本書紀』に記されている「四天王寺」を是として寺名を天王寺から四天王寺に変更されたのではないでしょうか。ただし地名は頑固に「天王寺村」のままで残り、現在の「天王寺区」に繋がったものと思われます。
 それでは江戸時代末頃に天王寺から四天王寺に変更されるまでは、倭京2年(619年、九州年号)の創建以来「天王寺」だったのでしょうか。実はそれほど単純な変遷ではありません。四天王寺から出土した文字瓦から、その寺名が複雑に変化したことがうかがわれるのです。(つづく)

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