第1439話 2017/07/01

古田武彦「学問にとって重要なのは『論証』」

 わたしが古田先生から繰り返し聞かされた言葉があります。それは学問における論証の重要性に関することで、「論証は学問の命」という短い言葉でした。あるいは村岡典嗣先生の「学問は実証よりも論証を重んずる」という言葉も教えていただきました。この古田先生の教えは、わたしの学問研究における生涯の指針となっています。このことは「洛中洛外日記」などで何度も述べてきたところですから、読者のみなさんはご承知のことと思います。
 ところが、古田先生がお亡くなりになったとたん、“「実証よりも論証」などという古賀や「古田史学の会」の主張は古田先生の学問とは真反対である”と非難する声が聞こえてきました。これは村岡先生や古田先生の教えに対する誤解、あるいは意図的な曲解と言わざるを得ないのですが、古田史学や学問を理解する上で大切な問題ですので、改めて事の真実を明らかにしておきたいと思います。
 もちろん「学問は実証よりも論証を重んずる」という村岡先生の言葉や、それを受け継ぐ古田先生や古賀の理解は間違いであると批判されるのは個人の自由ですから、まったくかまわないのですが、その場合はわたしと古田先生の教えが「真反対」というのではなく、“村岡も古田も古賀も自分の考え(論証よりも実証)とは真反対である”と正確に批判していただきたいものです。
 このような「古田史学の会」やわたしへの非難に対して、『東京古田会ニュース』No.173に掲載された拙稿で、古田先生が「学問にとって重要なのは『論証』」と著書で記されている事を紹介しました。その当該部分を転載しておきます。「学問は実証よりも論証を重んじる」とするわたしと古田先生の意見が「真反対」などとする批判(いいがかり)がいかに間違ったものであるかが明白となることでしょう。

【以下、『東京古田会ニュース』No.173から転載】
「論証」は学問の命
 –古田先生の言葉と思い出–
              古賀達也
 (前略)
六、論証こそ学問の命

 「論理の導くところへ行こうではないか、たとえそれがいかなるところへ到ろうとも」
 「学問は実証よりも論証を重んずる」
 こうした言葉に現れているように、古田先生は学問にとって「論理」や「論証」がいかに大切かを繰り返し強調されてきました。そのことがはっきりと著書にも残されていますので、ご紹介します。
 『よみがえる九州王朝 幻の筑紫舞』(ミネルヴァ書房)の巻末の「日本の生きた歴史(十八)」に収録された古田先生の論文“「論証と実証」論”に次のように記されています。当該部分を引用します。

 《以下、引用》
日本の生きた歴史(十八)
 第一 「論証と実証」論
      一
 わたしの恩師、村岡典嗣先生の言葉があります。
「実証より論証の方が重要です。」と。
 けれども、わたし自身は先生から直接お聞きしたことはありません。昭和二十年(一九四五)の四月下旬から六月上旬に至る、実質一カ月半の短期間だったからです。
 「広島滞在」の期間のあと、翌年四月から東北大学日本思想史科を卒業するまで「亡師孤独」の学生生活となりました。その間に、先輩の原田隆吉さんから何回もお聞きしたのが、右の言葉でした。
 助手の梅沢伊勢三さんも、「そう言っておられましたよ。」と“裏付け”られたのですが、お二方とも、その「真意」については、「判りません。」とのこと。“突っこんで”確かめるチャンスがなかったようです。
      二
 今のわたしから見ると、これは「大切な言葉」です。ここで先生が「実証」と呼んでおられたのは、「これこれの文献に、こう書いてあるから」という形の“直接引用”の証拠のことです。
 これに対して「論証」の方は、人間の理性、そして論理によって導かれるべき、“必然の帰結”です。わたしが旧制広島高校時代に、岡田甫先生から「ソクラテスの言葉」として教えられた、
 「論理の導くところへ行こうではないか、たとえそれがいかなるところへ到ろうとも」(趣意)こそ、本当の「論証」です。
 (中略)
 やはり、村岡先生の言われたように、学問にとって重要なのは「論証」、この二文字だったようです。
 《引用終わり》

 このように古田先生は「実証より論証の方が重要」であることの解説のためにわざわざ一章を割かれているのです。この古田先生の言葉に示された“学問における「論証」の重要性”を深く重く受け止め、わたしはこれからも古代史研究を進めていきたいと思います。

フォローする