前田博さんの思い出
博多から京都に帰る新幹線車中で書いています。
昨晩、福岡市天神の平和楼(中華料理店)での「九州古代史の会」新年会に参加し、木村会長や事務局の前田和子さん、編集部の工藤常泰さん沖村由香さん、そして古くからの友人の松中祐二さん(古田史学の会・会員でもある)らと夜遅くまで親睦を深めてきました。
同会の正月例会で講演された岡部裕俊先生(糸島市教育委員会・伊都国歴史博物館館長)の隣席に座らせていただけましたので、当地の考古学的出土状況などたくさんのことをご教示いただきました。岡部さんは古田先生とお会いになられたこともあるとのことで、「古田先生から叱られました」と懐かしそうにお話しされていました。聞けば、岡部さんは森浩一先生のお弟子さんとのことで、古田先生と森浩一先生のご縁を思うと、それぞれの「弟子」が博多で歓談するというのも、不思議な巡り合わせと思いました。
その新年会で下関市から来られた中村さんという方がご挨拶され、「市民の古代研究会」時代からの会員で「古田史学の会」にも入会されているとのこと。そのご挨拶の中で、下関市在住の古参の古田支持者だった前田博さんのお名前が出されました。前田さんは「古田史学の会」創立時に全国世話人に就任していただいたこともあり、懐かしいお名前を久しぶりに聞くことができました。前田さんも物故されたとのことで、古田ファン第一世代の多くの先輩が鬼籍に入られたことを深く感じました。
三十年ほど昔のことと記憶していますが、古田先生と二人で長門の鋳銭司跡訪問のおり、前田さんのおクルマで案内していただきました。そのとき、松下村塾も案内していただいたような記憶があるのですが、当時のわたしは吉田松陰にはあまり関心がなかったようで、どのような話を古田先生としたのか思い出せません。先生との記憶が薄れないうちに、「洛中洛外日記」などに書き留めておかなければと、改めて思いました。