第3101話 2023/08/31

喜田貞吉の批判精神と学問の方法 (5)

 〝もし「教行信証」が本当に親鸞の著作なら、何代も前の天皇である土御門を、あやまって「今上」などと呼ぶはずはない。〟とする喜田の指摘を受けて、『教行信証』成立時代やその前後の文献の悉皆調査により、「今上」とはその記事が書かれたときの天皇であることを実証的に古田先生は確認しました。続いて、親鸞自筆『教行信証』坂東本(東本願寺蔵)の科学的調査を実施。それは、墨の濃淡をデンシトメーター(Multiplier Photometer)で数値化し、筆圧曲線による筆跡の異同や、同一人物の年齢による筆跡変化をも確認するという、当時としては画期的な手法でした(注①)。

 この科学的な筆跡調査の結果、『教行信証』が撰述されたのは元仁元年(1224)、親鸞五二歳のとき。総序中の「今上」記事は、土御門天皇の承元元年(1207)~承元五年(1211)、親鸞が三五歳から三九歳に当る越後流罪中に書いた自らの文書を『教行信証』撰述時に書き写したとする結論に至りました。

 古田先生による、「今上」の〝悉皆調査〟と、デンシトメーターを用いた筆跡の科学的調査により、大正時代から続いた『教行信証』論争に終止符を打つことができたのでした。この古田先生の学問の方法や著作は、日本思想史学における研究レベルを異次元の高みに引き揚げたもので、後継の若い研究者にも大きな影響を与えました(注②)。(つづく)

(注)
①古田武彦「第二節 坂東本の史料科学的研究」『親鸞思想 その史料批判』冨山房、1975年。
②佐藤弘夫(東北大学教授)「古田先生を悼む」『古田武彦は死なず』(明石書店、2016年)に次の記事が見える。佐藤氏は日本思想史学会々長(当時)で東北大学の古田氏の後輩にあたる。
〝私が古田武彦先生のお仕事に初めて接したのは、一九七五年五月に刊行されたご著書『親鸞思想 その史料批判』(冨山房)を通じてでした。当時、私は東北大学文学部日本思想史研究室の四年生で、翌年の卒業を控えて卒業論文の準備に取り組んでいました。テーマが日蓮を中心とする鎌倉仏教であったため、関係ありそうな文献を乱読しているなかで『親鸞思想』に巡り合ったのです。(中略)
ひとたび読み始めると、まさに驚きの連続でした。飽くなき執念をもって史料を渉猟し、そこに沈着していく求道の姿勢。一切の先入観を排し、既存の学問の常識を超えた発想にもとづく方法論の追求。精緻な論証を踏まえて提唱される大胆な仮説。そして、それらすべての作業に命を吹き込む、文章に込められた熱い気迫。――『親鸞思想』は私に、それまで知らなかった研究の魅力を示してくれました。読了したあとの興奮と感動を、私はいまでもありありと思い出すことができます。学問が人を感動させる力を持つことを、その力を持たなければならないことを、私はこのご本を通じて知ることができたのです。〟

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