第3195話 2024/01/06

中小路俊逸先生からの提言(遺告)

 ―「一元通念」は学理上「非」なり―

 この五十年間、日本古代史学界で古田先生の多元史観・九州王朝説を公然と支持したプロの学者は一人として現れませんでした。他方、理系ではそうそうたる学者が古田説を支持してきました。わたしが知るところ、人文系では日本古典文学の学者、中小路俊逸先生(追手門学院大学教授。故人)が公然と古田説を支持し、ご自身も多元史観による研究論文を発表されてきました(注①)。

 中小路先生は、より本質的な視点で一元史観(氏は「一元通念」と呼ぶ)に対して古田説の決定的に勝(まさ)った点をとらえ、そのことを次のように指摘しています。

〝古田氏の言説が「近畿大和なる天皇家の王権は、七世紀よりも前から日本列島内で唯一の卓越して尊貴な中心的権力であった」という「一元通念」を学理上「非」なりとしている一点で古田説は通念に対して決定的に勝(まさ)ったのである。〟
〝何よりも、肝心カナメのカンどころ、「一元通念」を「論証を経ざるもの」とした古田氏の指摘こそ、日本古代史の研究史のなかで古田氏の学の位置を決定した理論上の「定礎」である。〟(注②)

 そして、「古田史学の会」を立ち上げた当時のわたしに、次のように忠告されました。

〝一元通念のプロの学者との対話や論争において、各論(例えば九州年号や評制問題など)だけを論じても徒労に終わるであろう。彼らは文献史学のプロであり、素人を相手にして、多くの史料(エビデンス)や様々な解釈(ロジック)を持ち出し、いくらでも古田説に「反論」することができる。その結果、九州王朝説は邪馬台国論争と同様に、百年経っても決着がつかない〝永遠の水掛け論〟に持ち込まれる。そうしているうちに、古田説は隠され、無視され、忘れられてしまい、結果は「学理上無効な一元通念が無期限に安泰」となることは明白である。〟

 残念ながら、中小路先生の指摘通りに、学界の状況は今日まで進んで来ました。
ここに、中小路先生が遺された提言(遺告)を紹介します。わたしが聞いたのは三十年前のことであり、表現は少し異なるかもしれませんが、それは次のようなことでした。

〝一元通念の学者との対話や論争での要点は、「一元通念は論証を経ていない」ので「学理上無効」ということであり、これを曖昧にしたり、伏せてはならない。このことを最初から最後まで問わねばなりません。〟

 ちなみに、「古田史学の会」会則には〝本会は、旧来の一元通念を否定した古田武彦氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い〟と銘記しています。これは中小路先生の提言に従ったものです。

(注)
①中小路駿逸「旧・新唐書の倭国・日本国像」『市民の古代』9集、新泉社、1987年。
同(遺稿集)『九州王権と大和王権』海鳥社、2017年。
②中小路駿逸「古田史学の会のために」(『古田史学会報』8号、1995年)で同様の主張がなされている。そこでは一元通念を次のように説明している。
〝この「名分に関する、信仰を含む宣言」を「史実宣言」へと横滑りさせ、この「名分」に合うように歴史のワク組みを構想した「錯乱」の所産が「一元通念」なのだった。――私は今、そう考えているのである。古田氏の指摘はこの「錯乱」を非なりとし、その裏づけを提示した私も、同様これを非とし、歴史像を通念型から古代の文献の示しているものに返せ、と要求している。たとえこの通念が数百年、あるいは千年余、日本人の心を規制し、文化の深部に根付いているように思われていようとも、より深い基層にあるものが真実ならば、そこに復帰して当然ではないか。「一元通念を非とする。」――この一句に私が固執する意味がおわかり願えようか。日本の文化が、精神が、ほんとに確かな基礎に立ったものになれるかなれないか、その分かれ目がこの一句にある。私はそう思っているのである。〟

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