「古田史学会報」107号の紹介
今日は三重県四日市市に来ています。中日新聞の一面に、紫香楽宮から二棟の正殿跡が出土したことが大きく紹介されています。さすがは地元紙ですね。
紫香楽宮を造った聖武天皇は後期難波宮も造っており、多元史観から見ても王朝交代直後であり九州王朝の影響を受けているようで、大変興味深い天皇の一人です。
わたしも『古代に真実を求めて』15集(本年春発行予定)に「九州王朝鎮魂の寺」を投稿しましたが、それは聖武天皇の時代における法隆寺の性格について論究したものです。8世紀初頭の近畿天皇家の歴史は、九州王朝説に基づいて研究する必要を感じています。
ところで、年末年始ばたばたしていたため、「古田史学会報」107号の紹介を忘れていました。遅くなりましたがご紹介します。
『古田史学会報』107号の内容
○古代大阪湾の新しい地図
-難波(津)は上町台地になかった- 豊中市 大下隆司
○「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察 京都市 古賀達也
○中大兄はなぜ入鹿を殺したか 小金井市 斎藤里喜代
○福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について 川西市 正木裕
○磐井の冤罪II 川西市 正木裕
○朝鮮通信使(文化八年度)饗応『七五三図』絵巻物
–小倉藩小笠原家作成絵図の対馬での公開にあたって 松山市 合田洋一
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集