第3388話 2024/12/08

『東京古田会ニュース』219号の紹介

 『東京古田会ニュース』219号が届きました。拙稿「『幻想の津軽中山古墳群』の証言」を掲載していただきました。同稿で紹介した奈利田浮城著『古代探訪 幻想の津軽中山古墳群』(昭和51年刊)は、三十年前の和田家文書調査時に青森で入手したもので、同書には、津軽地方の石塔山横穴古墳(役小角墳墓)の解説中に、和田家が山中の洞窟から発見した遺物のことが記されています。次の記述です。

 「発見者(昭和26年6月)和田元市氏の口述、それをメモした在地の諸先生方のご教示と。福士貞蔵先生の解釈。出土した仏像と佛具、さらには舎利壺、銅板銘文、木皮漆書をもとに心血を傾けて数年間にわたって解読と解明にあたられた飯詰の開米智鎧師の後世に残るであろう原文の直訳記録に依存し、私見を導入して綴り込むことの大胆無謀を重々寛容願いたい。」70頁

 昭和26年に、山中で炭焼きをしていた和田父子(元市・喜八郎)が、自家の文書に基づいて発見した遺物について記されており、「和田元市氏の口述」とあることから、当時は喜八郎氏(25歳)よりも父親の元市氏の発言が重要であったことがわかります。このことは、和田家文書を喜八郎氏による偽作とする偽作説と、当時の状況を知る人の証言とは食い違うことを示しており、奈利田氏の証言は貴重です。

 同号で最も注目したのが國枝浩さん(世田谷区)の「本居宣長の中国との外交史論」でした。本居宣長『馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)』に見える日中国交史における宣長の思想性を論じたもの。古代史学界の一元史観批判にも通じる鋭い指摘であり、刮目しました。

 なお、國枝稿では『続日本紀』和銅二年条の蝦夷討伐記事を根拠に、『日本書紀』斉明四年条に見える蝦夷征討記事を史実とは認められないとしますが、『続日本紀』に記された大和朝廷と蝦夷国との交戦記事と、斉明紀に記された九州王朝によると思われる蝦夷支配記事を同列には扱えません。これは重要なテーマですので、改めて私見を述べたいと思います。

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