2015年の回顧『古田史学会報』編
2015年に発行した『古田史学会報』126〜131号の掲載稿を下記に記しました(例会報告など事務連絡の類は省略しました)。
昨年に続いて正木裕さんは精力的な研究発表を続けられました。また、古田史学入門編として「壹から始める古田史学」の連載も129号から開始されました。古田先生が亡くなられたことにより、わたしは「追憶・古田武彦先生」の連載を開始しました。
常連組が安定した研究レベルにより優れた論稿を発表される一方、平田さん(“たんがく”の“た”)、安随さん(「唐軍進駐」への素朴な疑問)、清水さん(四国・香川県の史跡巡り)が会報デビューされました。中でも印象に残っているのが、安随さんの「『唐軍進駐』への素朴な疑問」です。意表を突かれたという意味でも好論でした。
また、古田先生の最後の対談をラジオ番組でされた桂米團治さんのオフィシャルブログからの転載も感慨深いものとなりました。投稿していただいた皆様に御礼申し上げます。
『古田史学会報』126号(2月)
○平成二十七年、賀詞交換会のご報告 京都市 古賀達也
○犬を跨ぐ 山東省曲阜市 青木英利
○「室見川銘板」の意味するもの 奈良市 出野 正
○盗用された任那救援の戦い -敏達・崇峻・推古紀の真実-(下) 川西市 正木 裕
○先代旧事本紀の編纂者 高松市 西村秀己
○四天王寺と天王寺 八尾市 服部静尚
○盗用された「仁王経・金光明経」講話 川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(上) 京都市 古賀達也
○年頭のご挨拶 代表 水野孝夫
『古田史学会報』127号(4月)
○「張家山漢簡・居延新簡」と「駑牛一日行三百里」 川西市 正木 裕
○短里と景初 誰がいつ短里制度を布いたのか? 高松市 西村秀己
○“たんがく”の“た” 大津市 平田文男
○邪馬台国畿内説と古田説はなぜすれ違うのか 八尾市 服部静尚
○学問は実証よりも論証を重んじる 京都市 古賀達也
○「唐軍進駐」への素朴な疑問 芦屋市 安随俊昌
○『書紀』の「田身嶺・多武嶺」と大野城 川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(下) 京都市 古賀達也
○断念 古田武彦
『古田史学会報』128号(6月)
○網野銚子山古墳の復権 京丹後市 森茂夫
○「短里」の成立と漢字の起源 川西市 正木裕
○「妙心寺」の鐘と「筑紫尼寺」について 札幌市 阿部周一
○長者考 八尾市 服部静尚
○九州王朝の丙子椒林剣 京都市 古賀達也
○「漢音」と「呉音」 皇帝の国の発音 札幌市 阿部周一
『古田史学会報』129号(8月)
○孫権と俾弥呼 -俾弥呼の「魏」への遣使と「呉」の孫権の脅威- 川西市 正木裕
○鞠智城と神籠石山城の考察 京都市 古賀達也
○四国・香川県の史跡巡り 神戸市 清水誠一
○大化改新論争 八尾市 服部静尚
○「相撲の起源」説話を記載する目的 京都市 岡下英男
○九州・四国に多い「みょう」地名 京都市 古賀達也
○会代表退任のご挨拶 水野孝夫
○代表就任のご挨拶 古賀達也
○「壹」から始める古田史学1 古田史学の会事務局長 正木裕
『古田史学会報』130号(10月)
○「俀・多利思北孤・鬼前・干食」の由来 川西市 正木裕
○「権力」地名と諡号成立の考察 京都市 古賀達也
○「仲哀紀」の謎 千歳市 今井俊國
○九州王朝にあった二つの「正倉院」 松山市 合田洋一
○「熟田津」の歌の別解釈(一) 札幌市 阿部周一
○「壹」から始める古田史学2
古田武彦氏が明らかにした「天孫降臨」の真実 古田史学の会・事務局長 正木裕
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
○『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会の報告 服部静尚
○「坊ちゃん」と清 高松市 西村秀己
『古田史学会報』131号(12月)
○古田武彦先生ご逝去の報告 古田史学の会・代表 古賀達也
○古代の真実の解明に生涯をかけた古田武彦先生 古田史学の会・事務局長 正木裕
○追憶・古田武彦先生(1)
蓮如生誕六百年に思う 古田史学の会・代表 古賀達也
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
「古田武彦先生、逝去」
○昭和44年11月12日 読売新聞第二社会面
邪馬台(ヤマタイ)国ではなく邪馬壹(ヤマイ)国
○「みょう」地名について -「斉明」と「才明」- 松山市 合田洋一
○垂仁紀の謎 千歳市 今井俊國
○「熟田津」の歌の別解釈(二) 札幌市 阿部周一
○「ものさし」と「営造方式」と「高麗尺」 八尾市 服部静尚
○「壹」から始める古田史学3
古代日本では「二倍年暦」が用いられていた 古田史学の会・事務局長 正木裕
○割付担当の穴埋めヨタ話⑧ 五畿七道の謎 高松市 西村秀己