『古田史学会報』148号のご案内
『古田史学会報』148号が発行されましたので、ご紹介します。今号は全国各地の七名の方からバラエティーに富んだ諸テーマの論稿が寄せられ、読んで楽しい会報となりました。
谷本さんからは久しぶりの論稿です。『日本書紀』に一年のずれがあるというテーマについては古田学派内では少なからぬ論稿が発表されていますが、谷本さんは那須国造碑という同時代金石文を根拠に持統紀の記事のずれを論証するという手堅い方法を採用されました。読んでいて安定感のある論稿でした。
札幌市の阿部さんからは『隋書』俀国伝の記事から、倭国の都が近畿ではなく「肥」であるとする仮説が発表されました。阿部さんならではの視点の鋭さを感じました。
わたしは高安城を史料や地勢的に見て、九州王朝の城と見なせるとの研究を発表しました。正木裕さんの研究にアイデアを得たもので、九州王朝が副都前期難波宮の造営にあたって大がかりな防御施設を構築していたことがわかりました。
松山市の合田さん(古田史学の会・四国 事務局長)からは、『東日流外三郡誌』の存在を昭和38年時点で永田富智先生から聞かれたという貴重なエピソードを書いていただきました。偽作説を否定する貴重な証言です。
今号に掲載された論稿は次の通りです。
『古田史学会報』148号の内容
○「那須国造碑」からみた『日本書紀』紀年の信憑性 神戸市 谷本 茂
○『東日流外三郡誌』と永田富智先生にまつわる遠い昔の思い出 松山市 合田洋一
○「浄御原令」を考える 八尾市 服部静尚
○九州王朝の高安城 京都市 古賀達也
○『隋書俀国伝』の「本国」と「附庸国」 -行程記事から見える事- 札幌市 阿部周一
○聖徳太子の伝記の中の九州年号が消された理由 京都市 岡下英夫
○「壹」から始める古田史学16 「倭の五王」と九州王朝 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○10/14会誌発刊記念久留米大学講演会のお知らせ
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○各種講演会のお知らせ 10/31 NHK文化センター梅田教室 講師 谷本茂さん
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己