第3369話 2024/10/15

水野孝夫さんの古代史研究年譜

 本日、水野孝夫さん(本会顧問・前代表)のご葬儀に参列しました。「古田史学の会」からは正木事務局長、横田幸男さん(インターネット事務局)、上田武さん(事務局員)、そして日本ペイントで水野さんの部下だった木村賢司さん(元会員)も参列されました。

 一昨晩、急いで作成した「水野孝夫氏 古代史研究年譜」をご遺族に謹呈申し上げ、棺にも献納させていただきました。同研究年譜をここに紹介します。40年以上に及ぶ、氏の研究活動やテーマに改めて触れ、懐かしく思いました。

 なお、論文以外の例会報告・巻頭言・年頭挨拶・物故された会員の方々への弔文などは件数が多いので今回は掲載しませんでした。わたしが知らない論文や見落としがあるかもしれませんので、お気づきの方はご教示下さい。

【水野孝夫氏 古代史研究年譜】
古田史学の会 古賀達也
《著書》
○編著『市民の古代研究 合本 第一巻』新泉社、1992年。
○共著『「九州年号」の研究 ―近畿天皇家以前の古代史―』ミネルヴァ書房、2012年。

《論文『市民の古代』新泉社・他》
「古田説とのかかわり」第2集、1980年。
「鉛丹と鏡」第4集、1982年。

《論文『古代に真実を求めて』明石書店》
記事は会報からの転送で下にあります。
「佐賀県に「吉野」を探る」第6集、2003年。
○「古田史学「いろは歌留多」紹介」第7集、2004年。
○「万葉集二十二番歌」第11集、2008年。
○「禅譲・放伐論争シンポジウム」第14集、2011年。
「長屋王のタタリ」第15集、2012年。
○「百済人祢軍墓誌についての解説ないし体験」第16集、2013年。
「聖徳太子架空説の系譜」『盗まれた「聖徳太子」伝承』第18集、2015年。
○「追悼メッセージ 古田史学とわたし」『古田武彦は死なず』第19集、2016年。

《論文・他》市民の古代研究会
○「囲碁の歴史を調べています」『市民の古代ニュース』№32、1983年12月。
○「浦島太郎の話」『市民の古代研究』第3号、1984年3月。
○「古代ギリシア祭文の謎」1991年9月。『市民の古代ニュース』№97、1991年9月。
○「我々の古代年表をつくろう」『市民の古代ニュース』№103、1992年3月。
○「扶桑・日本・倭国等を併記した金石文」『市民の古代研究』第54号、1992年12月。
○「大宝年号を考える 正朔を改めた? ミョウバンの用途」『続日本紀を読む会・論集』1993年。
○「会の運営について」『市民の古代ニュース』№125、1994年1月。
○「わたしの論文は無断掲載された」『市民の古代ニュース』№130、1994年5月。

《論文・他》古田史学の会
「わたしはウソつきか 論文無断掲載事件と野村証言に関して」『古田史学会報』2号、1994年8月。
「『三国志』の文字数」『古田史学会報』5号、1995年2月。
○「聖徳太子は十七条憲法を作らなかった」『古田史学会報』10号、1995年10月。
「弥勒の出世は陰暦での計算だった?」『古田史学会報』15号、1996年8月。
「黒塚古墳見学記」『古田史学会報』24号、1998年2月。
「黒塚古墳出土三角縁神獣鏡 「父母鏡」の発見」『古田史学会報』25号、1998年4月。
「『奥の細道』中尾本異聞」『古田史学会報』28号、1998年10月。
「「富本銭」の公開展示見学」『古田史学会報』31号、1999年4月。
「武雄温泉の御船山」『古田史学会報』36号、2000年2月。
「隋詩「白馬篇」中の島夷・卉服」『古田史学会報』39号、2000年8月。
「佐賀県に「吉野」を探る」『古田史学会報』42号、2001年2月。
「千里眼随想」『古田史学会報』47号、2001年12月。
「山柿(さんし)の門」『古田史学会報』53号、2002年12月。
「菩提僊那僧正像」『古田史学会報』54号、2003年2月。
「古田史学「いろは歌留多」選考会」『古田史学会報』57号、2003年8月。
「大前神社碑文検討応援記」『古田史学会報』59号、2003年12月。
「別府・鶴見岳を天ノ香具山とする文献」『古田史学会報』62号、2004年6月。
「鶴見岳は天ノ香具山(続)」『古田史学会報』63号、2004年8月。
「「本」という字」『古田史学会報』66号、2005年2月。
「阿漕的仮説 さまよえる倭姫」『古田史学会報』69号、2005年8月。
「泰澄と法連」『古田史学会報』75号、2006年8月。
「阿胡根の浦」『古田史学会報』76号、2006年10月。
○「「オオスミ」の国」『古田史学会報』82号、2007年10月。
「私の古代史仮説」『古田史学会報』86号、2008年6月。
「禅譲・放伐論争シンポジウム要旨 日本国は倭国(九州王朝)の横すべりである」『古田史学会報』100号、2010年10月。
「斎藤里喜代さんへの反論」『古田史学会報』105号、2011年8月。

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