『親鸞と被差別民衆』の人間模様
河田光夫氏と古田先生、藤田友治さん
四半世紀ぶりに、河田光夫氏の『親鸞と被差別民衆』(明石書店、1994年)を書架より探し出して読みました。同書冒頭には古田先生による序文が記されています。
〝(前略)
わたしは馬齢を重ね、古希の坂へと登ろうとしている。しかし、振り返っても、君は亡い。
河田氏の新著を祝うための一文が、一片の弔辞としてはじまったこと、それを読者におゆるしいただきたいと思う。わたしにとって氏は、親鸞研究の未知の沃野を開くべき刮目の人、そういう研究者だったのである。
氏は、わたしの親鸞に関する論文を深く熟読して下さった。わたしの親鸞学の学問としての方法を理解し、その成果を深く摂取しつつ、新たな研究分野を切り開いてゆかれたのである。
中でも、被差別民衆の立場から親鸞言説を検証する、その方法論は、出色だった。幾多の親鸞研究の中でも燦然たる光を放っている。今後も、失われることはないであろう。
(中略)
それゆえに、弔いの言葉としてではなく、お祝いの言葉をもって、本書の序文を結ばせていただきたいと思う。
一九九四年十月十五日
――住井すゑさんの牛久の会の講演に赴く前夜――
古田武彦〟
著者は親鸞研究を通して古田先生と懇意にされていたようです(注①)。河田氏はガンの闘病生活のなかで同書の校正を続け、その途中で亡くなられました(1993年12月18日没)。その校正作業を引き受け、出版にまでこぎ着けたのが藤田友治さん(注②)でした。同著末尾にある藤田さんの「河田光夫氏への追悼と本書の解題」にその経緯が記されています。また、藤田さんは河田氏を介して古田先生の著作を知り、先生との交流が始まったとのこと。当時の様子を次のように記されています。
〝河田氏の引越しの手伝いで河田氏宅にいった際、河田夫人から古田武彦『「邪馬台国」はなかった』や『親鸞 人と思想』の贈呈を受け、古田氏は河田氏の友人であることが解った。
「偶然は人を思いがけないところへ導くものである」という言葉通り、河田氏から紹介された古田氏を中心にして、その後“囲む会”、さらに発展改称し、“市民の古代研究会”とし、全国組織となったのである(当初、事務局長、前会長)。そして最近は「古田史学の会」へその精神は引き継がれた。〟『親鸞と被差別民衆』146頁
こうした学問研究を縁(えにし)とした人間模様は、これからも誰かに繋がっていくものと思います。河田氏、藤田さん、古田先生は既に鬼籍に入られました。残された者の一人として、記憶を書き留め、これからの新たな学縁を繫いでいきたいと願っています。
(注)
①古田武彦『親鸞 人と思想』(清水書院、1970年)に河田氏の研究が次のように紹介されている。
「この問題について、河田光夫に『念仏弾圧事件と親鸞』〈『日本文学』一九六八・七・十月号〉という、みごとな研究がある。言語文法の側面から、この問題を分析したものだ。」170頁
②藤田友治氏(1947~2005年)。「市民の古代研究会 ―古田武彦と共に―」の創立者で、事務局長、会長を歴任された。1994年の「古田史学の会」創立に参加。