第3140話 2023/10/19

倭人伝に見える二つの「邪馬」国

 過日(10月14日)の「古田史学リモート勉強会」(注①)で、「吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓」を発表しました。その中で、女王国の本来の国名は「邪馬国」であるとする、下記の古田説を紹介しました。

 〝「邪馬壹国」という国名は、どのような構成をもっているのであろうか。
この問題は「やまゐ国」と読みうることの確定した直後、直ちに発生すべき問いである。

  この問題を分析するための、絶好の史料が『三国志』東夷伝の中にあらわれている。それは濊伝中のつぎの記事である。(中略)

  正始八年、濊国中の不耐の地の候王が貢献してきたのに対して、魏の天子はこれに「不耐濊王」という称号を与えたというのである。その意味するところは、濊の中の不耐の地の候王をもって、濊国全体の王と認める、ということなのである。(中略)

  こうしてみると、「邪馬壹国=邪馬倭(やまゐ)国」の名称が意味したその構成が明らかとなってくる。

  すなわち、卑弥呼の国は「邪馬国」であり、その居城は「邪馬城」とよぶべき地であった。その「邪馬」の女王に対して、倭(ゐ)国を代表する資格を認可したのが「邪馬倭国」の名称なのである。〟『「邪馬台国」はなかった』朝日新聞社版、「不耐濊王」の国、353~537頁。

 質疑応答で、関東から参加されている奥田さんから意表をつく質問がありました。それは、倭人伝に記された「邪馬国」(注②)は女王国の「邪馬壹国」と同じ国と見なしてもよいか、というご質問です。倭人伝中に「奴国」が二つ見えることは著名で、それが同一国か否かで諸説あることは知っていましたが、「邪馬壹国」=「邪馬」+「壹(倭)」とする古田説に準拠すれば、どちらも本来は「邪馬国」となりますから、それらを別国とするのか同一国とするのかという疑問が生じるわけです。そのような問題が発生することに、奥田さんから質問されるまで気付きませんでした。

 わたしからは「邪馬壹国」は〝倭国を代表する邪馬国〟の意味を持つ「邪馬壹国」と称され、「邪馬国」は女王国以北の国々の一つと理解すべきと返答しました。この問題は、倭人伝文脈上からもこうした理解でよいと考えていますが、改めて「邪馬壹国」「邪馬国」の「邪馬」が当時の倭語の一般名詞であったことに思い至りました。

 ずいぶん昔に古田先生からお聞きしたことですが、『三国志』時代の音韻復元はまだ成功していませんが、倭人伝に記された倭国内の文物の名前に用いられた漢字は、現代日本でも同じ音で使用されているケースがあることから、これを利用して音韻(上古音)復元研究が可能ではないかと思われます。その一例が「邪馬壹国」「邪馬国」の「邪馬」です。おそらくこの「邪馬」はヤマと発音し、意味は「山」だと思います。そして、「奴国」の「奴」はノかヌと発音し(注③)、意味は「野」あるいは格助詞の「の」ではないでしょうか。ナと訓む説は根拠不明ですし、ドと濁音で発音するのは後代の北方系長安音のように思います。ちなみに、わたしは倭人伝の音韻は南朝系呉音と考えています(注④)。(つづく)

(注)
①各地の研究者と情報交換や勉強を目的として、「古田史学リモート勉強会」を開催している。
②倭人伝に女王国以北の国々として次の記載がある。
「自女王國以北、其戸數道里可得略載。
其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。此女王境界所盡。」
③倭人伝の「奴」をノと発音する説が中村通敏氏より発表されている。
中村通敏『奴国がわかれば「邪馬台国」がわかる』海鳥社、2014年。
古賀達也「洛中洛外日記」780話(2014/09/06)〝奴(な)国か奴(ぬ)国か〟
同「洛中洛外日記」827話(2014/11/23)〝「言素論」の可能性〟
同「洛中洛外日記」1507話(2017/09/24)〝倭人伝の「奴」国名と現代日本の「野」地名〟
④古賀達也「倭人伝の音韻は南朝系呉音 ―内倉氏との「論争」を終えて―」『古田史学会報』109号、2012年。

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