「国分寺式」伽藍配置の塔
肥沼孝治さん(古田史学の会・会員、所沢市)からのメールがきっかけとなって勉強を開始した「武蔵国分寺」の多元的建立説ですが、おかげさまでわたしの認識も一歩ずつ深まってきました。お盆休みを利用して、古代寺院建築様式について勉強しているのですが、特に「国分寺式」と呼ばれる伽藍配置について調査しています。
国分寺は大和朝廷によるものと捉えていたこともあり、この「国分寺式」という伽藍配置のことは知ってはいたのですが、あまり関心もないままでした。今回、あらためて確認したのですが、回廊内に金堂と共に塔を持つ一般的な古代寺院様式とは異なり、「国分寺式」とされる伽藍配置は回廊で繋がっている金堂と中門の東南に塔が位置しています。各地の国分寺がこの伽藍配置を採用していますが、回廊内に塔がある国分寺もあり、全ての国分寺が同一様式ではありません。
こうした「国分寺式」という視点から「武蔵国分寺」を見たとき、金堂や講堂などの主要伽藍の「東南」方向に「塔」があるという点については、「国分寺式」のようではありますが、「武蔵国分寺」の場合は塔が離れており、方位も異なっていることは何度も指摘してきたとおりです。ですから、位置も離れ方位も異なった主要伽藍と塔をいびつな外郭で囲み、かなり無理して「国分寺式」もどきの寺域を「形成」しているとも言えそうです。
ちなみに、聖武天皇による代表的な国分寺である奈良の東大寺は、金堂・中門の南側の東と西に塔を有すという伽藍配置で、諸国の国分寺よりは「格が上」という設計思想が明確です。中でも大仏の大きさは、国家意志の象徴的な現れです。(つづく)