『太平記』の天王寺
「洛中洛外日記」でも度々取り上げましたが、『日本書紀』では「聖徳太子」による「四天王寺」の造営と記され、『二中歴』「年代歴」には倭京2年(619)に「難波天王寺」の建立が記録されています。現在では四天王寺という名称ですが、地名は天王寺(大阪市天王寺区)です。明治時代の地図にも天王寺村とされています。こうした状況から、本来の寺名は天王寺であり、『日本書紀』成立以後のある時期にその影響を受けて四天王寺という名称に変更され、他方、地名としての「天王寺」は本来の名称のまま残ったとする説を述べました。
このわたしの見解は高名な落語家桂米團治さんのブログに取り上げられたり、最近では服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)により、天王寺の移築問題などの研究が進められています。四天王寺から出土した瓦にも「天王寺」銘と「四天王寺」銘を持つものがあり、時代によって天王寺を名乗ったり四天王寺になったりしているようです。
水野代表からお借りしている『太平記』には「天王寺」と記されていますから、『太平記』成立時の14世紀後半には天王寺と名乗っていたようです。現在は 四天王寺を名乗っていますから、14世紀末以降のどこかの時点で天王寺から四天王寺に改められたことになります。もう少し正確に言えば、『太平記』の時代以前にも、『日本書紀』成立後に四天王寺を名乗っていた時期があったとも思われますが、各時代の史料を調査すれば、寺名称の変遷が明らかになるものと思われます。