第3076話 2023/07/22

昭和26年、

  東奥日報が山岳遺跡発見を報道

 昭和24年7月、和田元市・喜八郎親子が飯詰村梵珠山中の洞窟から発見した銅製銘板や佛像・仏具・木皮文書は、当時、地元では評判になりました。そして、そのことが昭和26年8月29日付の『東奥日報』に掲載されていることを発見し、『古田史学会報』などで発表しました(注)。今回、同記事のコピーが見つかりましたので全文を紹介します。記事では発見された遺物が国宝級であるとしており、このことからも和田家文書偽作説が成立し得ないことは明らかです。

(注)
古賀達也「平成諸翁聞取帳 天の神石(隕石)編」『古田史学会報』10号、1995年。
「続・平成諸翁聞取帳 『東日流外三郡誌』の真実を求めて」『新・古代学』4集、新泉社、1999年。

【『東奥日報』昭和26年8月29日付記事を転載】
※■は判読困難な字。「民」か。

山岳神教の遺跡発見

飯詰村山中に三つの古墳

 一千四百年前における日本原始宗教の代表といわれる山岳神教の偉大なる遺跡が北郡飯詰村の山中から発見され、津軽古代文化を物語る前方後円型、円墳型の三個の古墳と、この古墳から出土した国宝級の佛具並に舎利壺等の数々が考古学者中道等氏の調査鑑定で解明立証されようとしている。
この第一回調査は二十四、二十五、二十六日の三日間にわたり発見者飯詰村■、和田喜八郎君(二四)の案内で同村から東方約二里離れた現地踏査と同君が保管している佛像十六体、並に木皮百二十五枚に書かれた経文、唐国渡来の佛具、青銅製舎利壺二個の鑑定とであつた
中道氏はこの結論については今後の年代事実影響等の細密は研究が必要であると語つているが、今までのところは古代修験道(山伏)の霊地津軽三千坊中梵珠山系の遺跡と考えられ、古墳の場合は形築造方法から推察して平安末期頃に梵珠山を背景として山々に囲まれた台地の二カ所に造ったので本県ではこれがただ一つである、また舎利壺は藤原道長の経文の字体と銘が似ており支那の河南省辺で出来たもので美術的にも国宝級の遺物であると見られるに至ったので、同村では直ちに文部省文化財保存課に発掘の申請書を提出し本格的に古墳の発掘を行い、來年の秋までに飯詰山文化史を作成するよう手続きの一切を中道氏に依頼した
△中道氏の話=年代事実影響と今日に至る神教等を公表するにはもつと遺物を見なければ特徴のある文化遺跡と論断することが出来ない、また今回発見されたものは貴重なものばかりであるがそれよりも私は山岳、高地、平野を文化、化工して形に環われている飯詰そのものが最も貴重であると考えるからほかの村民も調査に協力し飯詰一帯の歴史を究明したい
【写真…飯詰の古墳と(上)佛像の一部(下)舎利壺

『東奥日報』昭和26年8月29日付記事を転載

【『東奥日報』昭和26年8月29日付記事を転載】※■は判読困難な字。「民」か。
山岳神教の遺跡発見 飯詰村山中に三つの古墳

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