第3123話 2023/09/25

『朝倉村誌』の「天皇」地名を考える (1)

 合田洋一さんの調査(注①)により、愛媛県東部地域に「天皇」地名が散見されることは知られていますが、今回入手した『朝倉村誌』(注②)にも記されていました。愛媛県越智郡の朝倉村(現・今治市)に遺された「天皇」地名類が次のように紹介されています。

○車無寺(後の無量寺)建立のこと (中略)院号を斉明天皇の祈願所なるが故に、天皇院と呼び、また年月を経て後、伊予皇子を御養育申し上げたため、安養院ともいった。(上巻、198頁)
○須賀神社(天王宮) 旧村社
〔由緒沿革〕斉明天皇の御宇に創立されたという。(中略)もと朝倉天皇又は野田宮とも称した。(下巻、1312~1313頁)
○野田・野々瀬の須賀神社
・朝倉天皇(須佐之男命を牛頭天王というため)。または野田宮ともいう。
・丸亀市本島の寺に「朝倉天皇宮」の鰐口がある。(下巻、1505~1506頁)
○與陽越智郡日吉郷南光坊由来之事
(中略)車無寺と号す 開祖は天皇に供奉し玉う大現の弟子無量上人也 朝倉両足山天皇院無量寺也 (下巻、1731頁)
○伊予国越智郡朝倉南村地誌
(中略)本郡孫兵衛作村ニ界ス其ヨリ天皇溝上流ニ至ル(中略)
西ハ天皇溝上流ニ起線シ風呂本拾六番地ニ至ル川ヲ以テ朝倉北村ニ界シ(後略) (下巻、1792頁)
○橋 天王橋 (下巻、1795頁)
○実報寺往還ノ選位朝倉北村飛地天皇橋ニ起リ(中略)同天皇橋前ニテ左右ヘ桜井往還ヲ岐ス (下巻、1796頁)
○社 須賀社村社ニシテ(中略)笠松山尾端字天皇ニアリ (下巻、1797頁)

 以上のように、車無寺(後の無量寺)の「天皇院」、朝倉南村の「天皇溝」「天皇橋」と字地名「天皇」の記事が見えます。斉明天皇との関係で由来が書かれている「天皇院」と、具体的な天皇名を付されていない「天皇溝」「天皇橋」「天皇」とがあり、なぜ朝倉村にこうした名称が現在まで伝わっているのか不思議です。北部九州でも神功皇后や斉明天皇、天智天皇の伝承が少なからずありますが、地名に「天皇」という表記が使われている例をわたしは知りません。701年、大和朝廷が成立した後に、こうした最高権力者の名称を大和から遠く離れた地で、誰かが勝手に命名使用するということはちょっと考えにくいのです。ですから、朝倉村など愛媛県東部地域に、こうした「天皇」地名が少なからず遺っているのは偶然ではなく、他地域とは異なる何らかの歴史的背景があったと考えるべきではないでしょうか。(つづく)

(注)
①合田洋一『葬られた驚愕の古代史』創風社出版、2018年。
②『朝倉村誌』朝倉村誌編さん委員会、1986年(昭和61年)。

フォローする