第3168話 2023/11/29

飛鳥宮内郭から長大な塀跡出土(3)

 飛鳥宮跡は三期の遺構からなっており、Ⅰ期は舒明天皇の飛鳥岡本宮と考えられており、七世紀前半に遡る王宮遺構です。今回発見されたⅠ期の塀跡はⅡ期・Ⅲ期の遺構と重なり、内郭と呼ばれている飛鳥宮跡中枢の位置から出土しています。いずれも『日本書紀』に基づき「飛鳥○○宮」と命名されており、同地域が古代から飛鳥(アスカ)と称されていたことを前提としています。

 当地が古代から飛鳥(アスカ)と呼ばれていたことは、『日本書紀』(720年成立)以外にも、飛鳥宮跡の北に飛鳥寺があること(七世紀の飛鳥寺跡も出土)、「飛鳥寺」木簡が飛鳥池遺跡から出土していることなどから、確かなことと思われます。更に、「甲午年(694)」銘を持つ「法隆寺観音像造像記銅板」(注①)には大和の著名な寺名「鵤大寺」「片罡王寺」とともに「飛鳥寺」が見え、七世紀に飛鳥寺が大和にあったことを疑えません。

 また、「船王後墓誌」(注②)に見える舒明天皇の表記が「阿須迦宮治天下天皇」「阿須迦天皇」とあり(注③)、七世紀でも「飛鳥」は「阿須迦(アスカ)」と称されていたことがわかります。現存地名も明日香(アスカ)村であり、地名の持つ伝承力の強さがうかがわれます。(つづく)

(注)
①「法隆寺観音像造像記銅板」(奈良県斑鳩町)の銘文。
(表)
甲午年三月十八日鵤大寺德聡法師片罡王寺令弁法師
飛鳥寺弁聡法師三僧所生父母報恩敬奉觀世音菩薩
像依此小善根令得无生法忍乃至六道四生衆生倶成正覺
(裏)
族大原博士百済在王此土王姓
②「船王後墓誌」の銘文。
(表)
惟舩氏 故王後首者是舩氏中祖 王智仁首児 那沛故首之子也 生於乎娑陀宮治天下天皇之世 奉仕於等由羅宮 治天下天皇之朝至於阿須迦宮治天下天皇之朝 天皇照見知其才異仕有功勲 勅賜官位大仁品為第
(裏)
三殯亡於阿須迦天皇之末歳次辛丑十二月三日庚寅 故戊辰年十二月殯葬於松岳山上 共婦安理故能刀自同墓其大兄刀羅古首之墓並作墓也 即為安保万代之霊基 牢固永劫之寶地也
③「船王後墓誌」に見える「天皇」を九州王朝の〝天子の別称〟とする古田新説があるが、これは近畿天皇家が「天皇」を名乗ったのは文武からとする解釈に基づいている。しかし、前提となるエビデンス(「天皇・皇子」木簡・「天皇」金石文)は、七世紀に近畿天皇家が「天皇」を称したことを示しているので、この古田新説には従えない。
たとえば、七世紀の「天皇」銘木簡・金石文は全て近畿地方で出土・伝来してきたものであり、それら全てを九州王朝の〝天子の別称〟とする解釈は恣意的で無理筋と言わざるを得ないであろう。次の拙論を参照されたい。
○「『船王後墓誌』の宮殿名 ―大和の阿須迦か筑紫の飛鳥か―」『古田史学会報』152号、2019年。
○「七世紀の「天皇」号 ―新・旧古田説の比較検証―」『多元』155号、2019年。
○「大化改新詔と王朝交替」『東京古田会ニュース』194号、2020年。
○「宮名を以て天皇号を称した王権」『多元』173号、2023年。

フォローする