第3312話 2024/06/27

関川尚巧(元橿原考古学研究所)さん

           との考古談義

 一昨日、奈良市で関川尚巧(せきかわ ひさよし)さんと長時間考古学・古代史談義をしました。関川さんは元橿原考古学研究所の考古学者で、学生時代から40年近く大和・飛鳥を発掘されてきた方です。今でも、発掘の現地指導をしているそうです。そうした永年の経験に基づいた〝大和に邪馬台国はなかった〟とする『考古学から見た邪馬台国大和説 ~畿内ではありえぬ邪馬台国~』(注①)の著者でもあります。「古田史学の会」でも講演していただきました。

 今回の面談では、「多元的古代研究会」「古田史学の会」創立30周年記念東京講演会(日程・会場は未定)での講演依頼とその打ち合わせを行いました。「古田史学の会」からは正木事務局長・竹村事務局次長・上田事務局員とわたしが出席し、打ち合わせ後は三時間にわたり考古学や古代史について歓談が続きました。

 関川さんの遺跡発掘体験談の数々をお聞きしましたが、なかでも太安萬侶墓発掘時(注②)のエピソードはとても興味深いものでした。同墓は茶畑開墾中に発見されたとのことで、そのとき墓誌が移動したため、墓誌本来の位置が不明だったのですが、墓誌の破片の一部が本来の場所に残っていることを関川さんが発見され、その破片の場所が本来の墓誌の位置であることを確定できたとのことでした。この他にも、飛鳥や奈良県から出土した多くの有名な遺跡発掘調査に関川さんが携わられていることをうかがうことができました。

 ちなみに、「邪馬台国」畿内説は全く成立せず、北部九州であるという点は、わたしたちと完全に意見が一致したことは言うまでもありません。氏の考古学に対する情熱や真摯な学問精神は共感するところ大でした。関東の皆さんにも関川さんの講演を聴いて頂きたいと願っています。

(注)
①関川尚巧『考古学から見た邪馬台国大和説 ~畿内ではありえぬ邪馬台国~』梓書院、2020年。
②1979年(昭和54年)、奈良県奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見され、火葬された骨や真珠が納められた木櫃と墓誌が出土した。

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