大宰府政庁Ⅱ期の造営尺(4)
大宰府政庁Ⅲ期と同位置と見られるⅡ期の造営尺に、南朝尺(24.5㎝)の1.2倍に相当する南朝大尺(29.4㎝)と太宰府条坊造営尺(30㎝)の二種類が併用された次の痕跡があります。
○正殿身舎(もや)部分の桁行(5間)・梁行(2間)の全長・柱間距離が南朝大尺。
○後殿の桁行(7間)各柱間距離は南朝大尺、梁行(3間)は条坊尺。基壇南北幅は条坊尺。
今回、門(北門・中門・南門)と脇殿について調査報告書『大宰府政庁跡』を精査したところ、南門には南朝大尺と条坊尺の併用が見られ、他は条坊尺のみで造営されていました。Ⅲ期南門SB001Aは桁行(5間)・梁行(2間)で、東西棟の礎石造りです。礎石は12個残存し、そのうち7個が原位置を保っており、Ⅱ期も同位置と見られています。柱間は桁行両端各2間が3.825mの等間で、中央間のみ5.70mです。この柱間3.825mは南朝大尺の13尺、中央間5.70mが条坊尺の19尺に相当します。梁行柱間は4.05mの等間で、条坊尺の13.5尺です。
以上のように、大宰府政庁の中心建物である正殿は桁行・梁行ともに南朝大尺で造営され、その真後ろに並列して位置する後殿は正殿に桁行のみ全長と柱間距離を対応させた南朝大尺です。そして、正殿から南へ心々距離で151mの位置にある南門では、桁行の両端各2間に南朝大尺、中央間に条坊尺が採用されています。異なる二種類の尺を使い分けて造営された大宰府政庁の設計思想解明とその時代背景についての研究を九州王朝説に基づいて進めたいと考えています。