古代ギリシアのオリンピックは2年毎
古代ギリシアの哲学者たちは軒並み長寿であることから、それは二倍年暦(二倍年齢)ではないかとする説を、「洛中洛外日記」2273話(2020/10/25)〝古代ギリシア哲学者の超・長寿列伝〟などでわたしは発表してきました(注①)。
三世紀のギリシアの作家ディオゲネス・ラエルティオスが著した『ギリシア哲学者列伝』(注②)によれば、80歳以上で没した哲学者だけでも次の通りです。
名前 死亡年齢
アポロニオス 80歳
アテノドロス 82歳
カルネアデス 85歳
クレアンテス 80歳
デモクリトス 100か109歳
ディオニュシオス 80歳
ディオゲネス 90歳
エンペドクレス 60か77か109歳
エピカルモス 90歳
ゴルギアス 100か105か109歳
イソクラテス 98歳
ミュソン 97歳
ペリアンドロス 80歳
プラトン 81歳
プロタゴラス 70か90歳
ピュロン 90歳
ピュタゴラス 80か90歳
ソロン 80歳
テレス 78か90歳
テオフプラストス 85か100歳以上
ティモン 90歳
クセノクラテス 82歳
ゼノン 98歳
クレアンテス 98歳
紀元前数世紀のギリシアが、21世紀の現代社会以上の「長寿社会」とは常識的に考えてありえませんので、この時代のギリシアでは二倍年暦(二倍年齢)が採用されていたと、わたしは考えています。しかし、ことはそれだけでは終わりません。古代ギリシアの絶対年代も地滑り的に新しくなりますし、古代オリンピックも四年に一度ではなく、二年に一度の開催となるからです。
『ギリシア哲学者列伝』には、たとえばプラトンの生没年について次の記述があります。
「さて、プラトンが生まれたのは、アポロドロスが『年代記』のなかで述べているところによれば、第八十八回のオリンピック大会が行われた年(前四二八/七年)の、タルゲリオンの月(現代の五、六月頃)の七日であった。それは、デロス島の人たちがアポロンの誕生日であると言っているのと同じ日である。そして彼が死んだのは――ヘルミュッポスによると、そのとき彼は婚礼の宴に出ていたとのことであるが――第百八回オリンピック大会期の第一年(前三四八/七年)であり、そのとき彼は八十一歳であった。」上巻250頁
このように、オリンピック期で年代が記録されており、第八十八回のときに生まれて、第百八回の期に没していることから、一倍年暦の時代(三世紀前半頃)を生きる著者のディオゲネス・ラエルティオスは、この間の二十回のオリンピックの間隔(四年)を一倍年暦で理解し(4年×20回=80年)、没年齢も一倍年暦での八十一歳(「数え年」か)と考えたと思われます。ところが、この八十一歳が二倍年齢であれば一倍年齢の四十歳ほどとなり、それを二十回で割れば、オリンピックは二年に一度の開催となるわけです。
このように、古代ギリシアでの二倍年暦(二倍年齢)採用という仮説が成立すると、オリンピックの開催間隔にも影響を及ぼすのですが、いかがでしょうか。
(注)
①古賀達也「新・古典批判二倍年暦の世界」(『新・古代学』第7集、2005年、新泉社)
②ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫(上中下)、1984年・1989年・1994年。