第2338話 2021/01/03

二倍年齢研究の実証と論証(4)

―『延喜二年阿波国戸籍』の二倍年齢説を断念―

 わたしが『延喜二年(902)阿波国板野郡田上郷戸籍断簡』を知ったのは、長野県白樺湖畔の昭和薬科大学諏訪校舎で1週間にわたり開催された古代史討論シンポジウム「邪馬台国」徹底論争(1991年)においてでした。参加されていた「邪馬台国」阿波説論者の方からいただいた岩利大閑著『道は阿波より始まる』に同戸籍が掲載されていたのです。
 一瞥して、その超高齢者群の存在に驚きました。当時としては有り得ないような多くの長寿者が記されており、阿波国ではこの時代まで二倍年齢表記が残存していたのではないかと疑ったのです(暦は一倍年暦の時代)。そこで、超高齢者群の存在を記すその年齢記事(史料事実)を根拠に、実証的に二倍年齢の存在を証明できるのではないかと考えました。
 しかし、同戸籍の年齢を半分にすると、80~110歳の超高齢者の年齢は現実的な数値になるものの、それ以外の年齢層では若くなりすぎて全く整合性がとれません。また、若年層が少ないという別の問題も解決できません。すなわち、同戸籍記載年齢を一倍年暦でも二倍年暦でも実証の根拠に使用することは、それを支持するための論証が成立せず、学問的に危険と気づいたのでした。そのため、二倍年齢により同戸籍を理解するという仮説提起をわたしは断念しました。
 前話で指摘したように、古代諸史料に見える「九十歳」とか「百歳」という、当時としてはあり得にくい年齢記事を〝史料事実〟として疑いもせずにそのまま実年齢と理解し、〝史料事実に基づく実証〟と称して仮説を提起し、論を進めることが危険であるように、二倍年齢表記ととらえ、単純に実年齢はその半分とすることも、同様に危険です。やはり「学問は実証よりも論証を重んずる」と村岡先生が述べられたように、「実証を実証たらしめるには精緻な論証が不可欠」(注)なのでした。(つづく)

(注)「学問は実証よりも論証を重んずる」との村岡先生の言葉に対する加藤健さん(古田史学の会・会員、交野市)の感想。更に加藤さんは、わたしへのメールで次のようにも追加説明されています。
 〝村岡先生の言葉の私なりのもう少し平易な理解を申し上げますと、実証Aと称するものを持ち出して、Bと結論する人と、Cと結論する人が有った場合、Aは共通ですから勝負はつかず、決め手となるのは結論B,Cを導く論証の適否にある、という内容を、端的に表現されたもの、とも思えるということです。
 いずれにしても、何か特別なことではなく、ごく当たり前のことを言われているとしか思えないことに変わりは有りません。Aから短絡的にBと結論しがちであるが、よく考えてみるとCが正しい、というようなケースにおいて、村岡先生の言葉は特に理解し易いと思います。〟

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