臼杵石仏の「九州年号」の検証(2)
『臼杵小鑑』の記事からだけでは、石仏に彫られているという「正和四年卯月五日」が九州年号か鎌倉時代の年号かは判断できません。鶴峯戊申は満月寺の開基を「四年ハ継体天皇の廿四年にあたれり 然れば日羅が開山も此比(ママ)の事と見えたり」という現地伝承を根拠に九州年号の「正和四年(五二九)」と判断したようですが、日羅(?-583年)は『日本書紀』によれば百済王に仕えていた人物であり、敏達紀には583年に百済からの帰国記事が見えます。「正和四年(五二九)」とはちょっと離れすぎています。もちろん鶴峯もこのことに気づいており、『臼杵小鑑』ではいろいろと〝言いわけ〟を試みていますが成功していません。
「十三佛の石像に正和四年卯月五日とあるハ日本偽年号〈九州年号といふ〉の正和四年にて、花園院の正和にてハあらず。」とした鶴峯の見解は未証明の作業仮説(思いつき、意見)であり、鎌倉時代の「正和」ではないという反証(証拠を示しての反論)もできていません。従って、この鶴峯の「意見」を根拠に石仏の「正和四年卯月五日」を九州年号とすることはできないのです。どうしても鶴峯の「意見」を採用したいのであれば、その「意見」が正しい、あるいは鎌倉時代の「正和」とするよりも有力であることを史料根拠を示して論証する必要があります。(つづく)