三十年ぶりの鬼室神社訪問(7)
鬼室集斯墓研究の第一人者、胡口康夫さん(1996年当時、神奈川県立相模台工業高校教諭)は『近江朝と渡来人―百済鬼室氏を中心として』(雄山閣刊、1996年)において、鬼室集斯墓碑江戸期偽造説を否定する新発見の史料を紹介されました。それは、村井古厳『古廟陵併植物図』という史料です。そこには当八角石の初見記事があり、「人魚墓 文字有不見 八角高サ墓トモ二尺二三寸」と記されています。
『古廟陵併植物図』は『西遊旅譚』より早く成立しており(村井古厳は天明六年に没している)、司馬江漢は村井古厳の『古廟陵併植物図』を知っていた可能性が高いことも指摘されました。「八角」の「人魚墓(鬼室集斯墓碑)」に「文字有不見」とする、この新史料の発見により、同墓碑の江戸期偽造説は完全に否定されたのです。
ところが、胡口さんの『近江朝と渡来人―百済鬼室氏を中心として』には、更に驚くべき画期的な研究結果が記されていました。(つづく)