第816話 2014/11/02

後代「九州年号」

  金石文の紹介

 「洛中洛外日記」810話で同時代「九州年号」史料を紹介し、調査協力を要請しましたが、後代作製と思われる「九州年号」金石文についてもご紹介します。
 愛媛県越智郡朝倉村に「樹の本さん」と呼ばれている「樹の本古墳」(円墳と見られています)があります。その墳頂に江戸時代作製と見られている法篋印塔があり、これが白鳳時代開基とされる浄禄寺の尼僧、輝月妙鏡律尼の墓石で、九州年号「白鳳」が記されています。
 数年前に合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人、同・四国の会・事務局長)のご案内で現地を訪問し、この墓石を実見しました。見たところ「白鳳十二年 七月十五日」と没年が彫られていました。年号だけで干支が記されていませんから、古代の金石文とは様式が異なっており、後代成立と見て、問題ないと思いま す。当地の地誌には「白鳳十三年七月十五日」と紹介されていますので、わたしの見間違いかもしれませんので、再確認の必要があります。同古墳は見学可能です。後代製造とはいえ、「九州年号」金石文は希少ですので、みなさんも訪問してみてください。
 もう一つ紹介します。「大化元年」石文として豊国覚堂「多野郡平井村雑記(上)」『上毛及上毛人』61号(大正11年)に掲載されているものです。次のように記されています。

 「大化元年の石文
 又富田家には屯倉の遺址から掘出したと称する石灰岩質の牡丹餅形の極めて不格好の石に『大化元乙巳天、□神王命』と二行に陰刻した石文がある。神王の上に大か天か不明の一字があつて、其左方より上部は少しく缺損して居るが−−見る所随分ふるそうなものである、併し大化の頃、果して斯る石文があつたものか、或は後世の擬刻か、容易には信じられない、又同所附近よりは赤土素焼の瓶をも発掘したと聞いたが未だ實物は一覧しない。」(38頁)

 同誌に掲載されている同石文の拓本を見ると、「大化元巳天 文神王命」と見えます。元年干支が「巳」とありますから、 『日本書紀』にある「大化元年乙巳(645)」と一致しますから、この石文は『日本書紀』成立以後に作成されたと考えられる後代作製「九州年号」金石文となります(本来の九州年号「大化元年」の干支は乙未で695年)。
 ちなみに、下山昌孝さん(多元的古代研究会)による2000年8月の調査によれば「多野郡平井村」は藤岡市とのことで、所蔵者とされる富田家に問い合わされたところ、同家ではこの石文のことはご存じなかったとのことでした。富山家は旧家のようで、藤岡市教育委員会にて同家所有古文書の目録作成をされてい るとのことでした。富田家にご迷惑をおかけしないようご配慮いただき、調査していただければ幸いです。
 以上、後代成立「九州年号」金石文2件をご紹介しました。

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